ロシア紀行3

ホテルの朝食。
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マネージ広場。国立歴史博物館前。ロシア紀行3_c0049825_23235651.jpgロシア紀行3_c0049825_23242883.jpg
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街歩きの風景から。チャイコフスキー像。
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# by soukou-suzuki | 2009-07-20 23:33 | かわいい妻には旅をさせろ

俳句歳時記に拙句掲載

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北溟社の平成俳句歳時記『春』に、俳句2句が掲載され、このたび出版されました。

掲載句は以下の2句です。

春泥に幾何学模様の轍かな(77ページ)

花衣整え夜半の静こころ(91ページ)

でした。
どろんこ見ても、一人でいても、一人むふふふ…とどこかウキウキする春が好きです。

ウキウキしていましたが、本を手にしていて、…、靖子さんは8句掲載されていました。
# by soukou-suzuki | 2009-07-12 23:38 | Hikari NOW!

ロシア紀行2

距離感を掴むため、とりあえず中心地に向かって歩く。
ホテル・メトロポールのモザイク壁画は、ブルーベリの『眠れる森の美女』。1903年、実業家マーモントフが創業。革命議会の会場になるなど、歴史上も重要な拠点だったモスクワ屈指のホテル。
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『劇場広場』は文字通り劇場が集まるエリア。左はマールイ劇場のオストロフスキー像(劇作家)。右はボリショイ劇場(建て直し中で、すぐ左の新ボリショイ劇場が稼動中)。
「ボリショイ劇場=大劇場」に対して、「マールイ劇場=小さい劇場」の意。
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劇場広場の花壇は見事。右は国立歴史博物館の建物。このアーチをくぐると「赤の広場」へと続く。
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左は「カザンの聖母聖堂」、右はモスクワの絵葉書を一番多く飾る「ポクロフスキー聖堂」を、先ずは外からチラ見。この日は明るく見えるがすでに夜8時を回っていた。
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暮れ泥む「赤の広場」のシルエット。広場を覆う石畳は足の裏泣かせ・・・。「赤い」は「美しい」の意味で使っていて、赤くはない!
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赤の広場に隣接するデパートはグム。フードコートにローカルフードのカフェテリアがあり、あれこれ選んでも1000円程度。味もよいし、親切で清潔、シンプルだけど奇麗。しかもデパートが22:00まで営業していて助かる!この日を皮切りに何度も世話になる。ロシア紀行2_c0049825_2315587.jpgロシア紀行2_c0049825_23151650.jpg
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夜景になる(日が暮れる)のは23:00近く・・・。冬が長いことで有名なロシアの夏は、一日がもの凄く永いのでした。こういう場合、一概に「夏が短い」とは言い難いように思う?!夜になっても治安は良好。
# by soukou-suzuki | 2009-07-12 01:51 | かわいい妻には旅をさせろ

ロシア紀行1

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出発直前、最新版のガイドブックで知ったアエロ・エクスプレス。空港ターミナルと市内のメトロ駅を30分で直結する電車で、1時間間隔(時間帯によって30分間隔)。シェレメチェボ空港は、ただいた第3ターミナル完成に向けて急ピッチに工事中。到着した第2ターミナルからエクスプレス駅までの通路は粉塵と騒音とバリアフルな路面で、早速に旅人を脅すのでした・・・。(エクスプレスの駅はピカピカで、床はツルツル・・・スーツケースも嬉しくなったか、踊りだすようによく走った♪)車窓から船が見え、シャッターチャンスを逃さずゲットしたことですぐご機嫌に!
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初めて目にするロシアの緑!あれは白樺の木。列車とも擦れ違った。シベリア鉄道もあんな車体なのかしら・・・。結構、古風?
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集合住宅(団地風)の点前に横長に広がるのは、コンテナを並べたりプレハブにトタン屋根に倉庫街?後でロシア人に尋ねたら、家が狭いから市内の人も倉庫を借りて、車で行き来するのだとか・・・。DEN機能もあって、男子は家族と離れてここを工房やら書斎にもするのだとか。プチ別荘?(最初はドアの開いたコンテナの中で寝ている人が見えたので、住まいかと思ってギョ!っとしました)(笑)
なんとかチェックイン!暫くはここがマイ・ホーム。天井の高さ、窓の多さ、ダブルマットレス、広いデスク・・・申し分なし。ただし部屋で湯沸しがないのはガックリ!日本茶・抹茶・ハーブティーなど、ほっとするものを持参したのに(YY)お湯貰う度にチップかぁ・・・すぐは来ないしなぁ。
# by soukou-suzuki | 2009-07-12 01:38 | かわいい妻には旅をさせろ

ロシアへの道筋

なぜロシアへの旅だったのか・・・。

ここしばらく、自分自身を形成する重要な要素でもあった、懐かし~い少女漫画を、当時抱いた憧憬や郷愁とともに、友人間で貸し借りするようになりました。キャンディ・キャンディ、スワン・・・・・・、おおそうだ!バレエを主題にした「スワン」には、ロシア人の登場人物が重要人物としてたくさん出くるのです。主人公、聖真澄の永遠の師、アレクセイ・セルゲイエフ、ライバルであるリリアナ・マクシモーヴァ、あらあら、参照しなくても名前が書けてしまうなんて!ロシアといえば、池田理代子の「オルフェウスの窓」はロシア革命へもつれ込む物語でした。

そしてリバイバルではなく、初めて「横浜物語」も読みました。開国間もない日本の明治期の、横浜を舞台に2人の親友同士の女性が、波乱万丈な運命を生き抜く物語です。作中で「おロシア」という表現が何度も出てきて新鮮に感じました。アメリカもイギリスもフランスも横浜も・・・、絵を見て風景がぱっと重なるのに、「おロシア」だけは急に単なる線で描かれた漫画に戻ってしまいます。頭の中では、ロシアはフランスより近いのに、うんとさらに遠くに感じているのだと気づきました。

さらに今年、仲良しのR子さんから、エカテリーナ二世の生誕200年記念、大琥珀展なるものに誘われました。琥珀の展示即売会場であるロシア大使館を初めて訪れるきっかけにもなりました。
ご一緒したR子さんは、その日に素敵な琥珀の指輪をゲットしました。彼女に「琥珀婦人」の称号を、私が勝手に与えました!(爆)
私は何も買わず、写真を数枚撮ったのと、天然資源である琥珀の様々な姿や色、艶、耀変する輝きを直接見て学べたことが収穫でした。確か、映画「ジュラシック・パーク」では、ジュラ紀の恐竜の遺伝子を取り出したのが、琥珀に固められた蚊の体内からとった、恐竜の血液からだったのを思い出しました。琥珀の中に虫が入っているということは、虫だけが入っているのではない。その時代の空気や水や、生物などの様々な情報をマイクロSDにしているのと同じことだと知りました。一粒の琥珀の中に、悠久とロマンと時間を超えた宇宙を投影できます。万華鏡を覗くように、その一粒といつまでも会話してしまいそう・・・。


琥珀に限らず、ロシアは広い国土に様々な天然資源を持っています。考えてみたら、地球の陸地の表面積の大部分を持っちゃっている国なんだものなぁ・・・と、改めてその存在の大きさを思いました。

「目の前にあっても、意識しなければ本質は見えてこない。その価値を得られないといことで、つまりはそこに存在しないも同じことだ。本質を見る目があってこそ、価値は生ずる―」
そういう意味の禅語がたくさんあります。私は今まで、世界地図を何百回と眺めながら、当然、一番、視線が彷徨うべきはずの世界最大の国土を持つ国にまったく目がとまらなかったのです。自分を淋しく感じると同時に、ようやく漠然とロシアが頭の中に存在感を落とし始めました。

思えば、日本の中の小さなロシア・・・ロシア大使館は、塀の外からは見ていました。郵政省の飯倉別館、というと古い言い方ですが、当時そう呼ばれた場所へ、仕事で数ヶ月通ったことがありました。ロシア大使館の目の前、通りを挟んでお向かいさんでした。
もう10年以上前です。あれは全国の郵便局の現金端末の入れ替え事業で、数社のシステムベンダーが共同(競合?)しつつ、ホールのように広い部屋を3分割して進行している第2期か第3期くらいに参加したと記憶しています。
ある企業グループは北から、またある企業グループは南から・・・と、現地郵便局にいる作業員とインカムで通話しながら、中央システムに通じる端末を操作して、現地の機械を閉塞したり開放したりするシステムオペレーションを行う仕事でした。

私の目的は、計画していた地球一周旅行への資金を短気に稼ぎ出すことでした。収入はありましたが、蓄えはさほありませんでしたから、3ヶ月先に予定している出発までに、まとまった資金を持っておこうと思ったのです。
旅の行き先は、すでに南米大陸とアフリカ大陸に決め、マレーシア航空の4フライト周遊チケットを買うことを決めてはいましたが、少し前までは、ユーラシア大陸の鉄道の旅にしようか、バス横断にしようか、アフリカ大陸の車旅にしようか、あれこれと行き先や手段を考えて頭の中で地球を彷徨う日々でした。

前置きが長くなりましたが、大きすぎて、広すぎて、茫漠としてとらえどころがなく、つい敬遠していたロシアという国の門戸を、初めて開くきかっけになったのが、友人に誘われた琥珀展で訪れた、10年ぶりのロシア大使館でした。そしてこの度は、高い塀の内側へ招かれ、ステンドグラスやモザイクの床から、少なからず何かを嗅ぎ取り始めていたのです。

ところで最近、身近な人の心理を深く考える機会に遭遇しすぎたためか、書き手の感情があまりにストレートに書いてある随筆類を読むことに少し疲れていました。その反動か、少々難読な外国ものの翻訳小説を読みたくなっていました。
相手と真正面から会話するのに疲れ、視線を外して静かに横顔を見つめていたい・・・そんな気分に似ているかも知れません。(笑)つまり自分のペースで行きつ戻りつさせてよ、という気分です。

自宅の書棚を漁って、以前に読んだサガン、サン・テグジュベリやボーヴォワールなど(ん、やっぱフランスが多い?)を読んでいるうちに、ふと「永遠の夫」というドフトエスフキーの一冊が見つかりました。
明らかに古本です。しかしこの本、全く読んだ覚えがありません。だいたい、なぜこの本が家にあるのか?誰のものなのか?も見当がつきませんでした。

しかもこの文庫本には、冒頭から何箇所か、赤いサイドラインが引いてある箇所があります。
私は普段、小説に印はつけません。読書感想文の宿題が出ているときならまだしも、大人になって、テキストかガイドブック以外に線を引くことはありませんでしたから、ますます謎は深まります。
そういえば昔、学園祭の脚本を書くために、原作の物語文に線を引いて、状況をセリフに落とすための目印をしたことならありましたけど・・・ン十年前のことです。(懐!)

読み進むうちに、どうやらその線は「永遠の夫」の登場人物であり、主人公の男のキャラクター設定にあたる箇所に引かれていることが判りました。ちょうど、芝居でこの役を演じる人物が、その人となりを把握して演じるために注意深くチェックしているような、そんな線の引き方です。
自然に私もその人となりに注意がいってしまいました。

この本、「永遠の夫」というタイトルから、「どんな素敵な夫君かしら?」と期待しながら読み進みましたが、途中で、「あれ?おかしいぞ」と思い始め、次第に苛立ちともやもやが色濃くなりました。
先ず、「永遠の夫」というのは、理想の夫像とは無関係で、むしろ「万年亭主」とでも訳した方がよさそうな内容なのです。全く素敵な夫ではなく、むしろ真逆で、「永遠に愛すべき無二の夫」ではなく、「永久にただの夫でしかない男」という意味だったのです・・・。ガーン!

これは「最高のご馳走」と銘打っておいて、絵に描いた餅を出されるほどの諧謔です。
さらに主人公はその「夫」ではなく、妻を亡くしたその万年亭主に絡まれる側の、四十がらみの紳士で、彼は昔、その万年亭主の妻と恋人関係だったのです。しかも、妻に先立たれた万年亭主は、娘を連れて主人公に会いに来るのですが、この娘、事実関係を総合すると、どうやらこうやら、自分の子供らしい・・・・と紳士は確信します。ある夜、主人公は万年亭主を部屋に泊めていましたが、夜中に自分のかみそりで亭主に切り付けられ、左手に深手を負うも、なんとか亭主を組み伏せて事なきを得ます。間一髪、殺されかけたのです。

永遠の夫婦愛を期待してページを捲っていた私には、もやもやと「腑に落ちなさ加減」MAXの読み物です。(難読を求めていたので、まさにお望みどおりなのですが・・・)

終始感じていたストレスは、途中で、あるときふっきれました。自分の期待感にしばられて、想像した味と違うからといって、それを「まずい!」と思うのも自由。気持を切り替えて、「新しい食べ物」と思うのも自由・・・。でも満足感も発見も後者の方が大きいでしょう。郷に入ったんだから、のるかそるか、です。ドフトエフスキーさんに、ここは素直に乗せられましょう。

最後まで読んで判りましたが、ドフトエフスキーは、この主人公と自分を重ねているようです。だとしたら、線が引かれていたのは、作者その人の「人となり」とも重なっていたのかしら?お陰さまで、ぱらぱら捲るだけで、その箇所を容易に読み返すことができました。用心深く、褒めすぎないようにしているけど、いい男であることを自嘲気味に、言い訳をしながら書いているので、やや難解になってるようにも見える表現です。

罪と罰、シベリア流刑、哲学的であり思想家であるイメージと違い、俗世を男として生きたドフトエフスキーの横顔が見えて、一人の人の多面性と、頭の中の世界の広さを感じ、思い切り自分のペースで「行きつ戻りつ」させてもらいました。(笑)

さらにドフトエフスキーさん、あとがきによれば、博打と酒びたりで随分と波乱含みの人生のご様子・・・。はてさて、ロシアに酒はつきものというけれど。文豪という敷居が急に低くなった気がします。肖像画の中の、かげりを帯びた深い眼差しも、また違った味を伴なって見えてきました。

人は、自分自身の中から湧き上がる、正義、欺瞞、偽り、慈愛、欲望、尊大さ、臆病さ、切なさ・・・をコントロールできずに悩みます。喜怒哀楽のすべては、実は自分から発しているからこそやっかいなのです。それを赤裸々に表出する勇気がある人こそ、人類をもっとも大きな愛で赦している人であると思うので、尊敬もし、愛すべきと思うのです。人間のどうしようもなく人間なところ・・・そういうものを可視化したものを芸術というのかなぁと漠然と確信(?)しています。

だから読んでよかったのだけど、残念なのは、文中の風景描写にちぃっともピンとこないことです。頭に風景が浮かんでこないのです。それほど、私のロシアに関する情報が乏しいいうことでしょう。文中に、郊外の別荘の庭で、子供等と遊ぶ場面があるのですが、そこに生えているべき樹木の種類も、花の色も、建物の様式も、人物画でいったら「へのへのもへじ」くらいリアリティーのない、輪郭も陰影もない絵になってしまうのです。

百聞は一見に如かず。また、とくに記憶力の悪いわたしは、五感で見ないと何事も海馬に入っていかないのでリアルやライブを好みます。地理も歴史も、世界旅行しながら教えて欲しかった・・・。仕方ないから大人になってから自分で授業料を払いつつ、実地勉強しています。

『―理解したことから、忘れたものを引いたのが知識。
見たもの、触れたもの、嗅いだもの、忘れたとしても体感したすべてでできるのがセンス(感性)―』

そういわれて、生きることの意義を見つけた気がしたのも、10年以上前でした。以来、触れては忘れ、聞いては忘れ、私を通り過ぎていった様々な体験と記憶は、すべて余すことなく私の思考や感性の要素になっている(筈な)のです。そして今回、なんら浮かばなかったロシアの風景こそ、今の自分にたりない、つまり取り入れるべき要素なんだと確信しました。

そんな欠落感を抱えていた私は、ロシアの絵画と出会いました。
渋谷の文化村に見に行った「トレチャコフ美術館展」で見た、シーシキンの風景画と、レーピンやクラムスコイの肖像画でした。

特に有名な「忘れえぬ女(ひと)」・・・。美しく意味ありげで謎をまとった肖像画です。しかし、肖像画でありながら、モデルが誰かわかっていない。「忘れえぬ女」は、これまた正しくは「見知らぬ女」の方が適正訳だというからまたしてもロシア芸術の天邪鬼!といいたくなります。
「忘れえぬ女」が「見知らぬ女」というのは諧謔ですが、「見知らぬ女だが忘れることができない女」はあり得ます。女性の女性らしさを十二分に描いていながら、肌の露出は本当に顔だけ、首も腕も、手首も指さえも、上等な冬服でぴっちりと覆われています。そのストイックさが、かえってこちらの欲求を見透かしているような屈辱感を漂わせます。見下ろすような目線も挑戦的ですが、描いたクラムスコイが見るものに挑戦的なのか、彼もモデルの視線ビームを受けた側なのか、モデルとクラムスコイと私の間に、誰が語り手で誰が聞き手なのか、能動で受動か、茶道でいう「主客一体」の三角関係バージョンのような、ある種の倒錯の構図がそこにあるのです。
マッフ(左右から手を入れる筒状の毛皮の防寒具)から緩やかにぬき出た左手には、これまたぴちっと上質ななめし皮の手袋がはめられており、肌は見えません。ただその部分の革の艶が素肌を想像させ、素肌を描く以上に、なんとも魅惑的なのでした。

5・7・5、十七文字の俳句から、小説がかけてしまうほどイメージが広がることがありますが、クラムスコイの「忘れえぬ女」は、この一場面から長編小説をおこせるほどの波動を放ってます。

「森の画家」と呼ばれたシーシキンの描く森は画面からマイナスイオンを出しています。涼しげで、木漏れ日を通す、縦の線で構成された森林と呼ぶのが似合う森・・・。それは私がもっとも親しんだ自然、軽井沢や御代田の雑木林を思い起こさせました。
ロシアという響きから、もっと厳しくて過酷な自然ばかり想像していた私は、日本人はみな侍か芸者だと思っている無知な外国人状態だったようです。
私が慣れ親しみ、この上なく美しいと思う同じ景色がロシアにあるというだけでなく、それを風景画にするということは、私と同じ種類の自然を「心地よい」と思っている証拠です。故郷をおなじくする者のように、描き手にも親しみが湧きました。
これは、睡蓮が咲き乱れる池を至上の美としたモネより、案外気が合うのかもしれないぞ・・・そんな思いをシーシキンに抱いたのです。

また、展覧会中で、一番その画家に親しみが湧いたのはレーピンでした。一番、気が合いそうな気がした・・・というのが正直な感想。
レーピンの肖像画は、モデルがみなこちらに向けて心を開いていました。画家に向けられた眼差しがニュートラルで、警戒心がないのです。

向かい合う人の表情は、自分の鏡です。幼い息子も描いていますが、幼子も俳優も文豪も、誰をモデルにしても、描く側に気負いの違いがない気がします。絵に平常心が漂っているように感じて、絵を前にした私の心も、窓を開けるように開いていきました。丹精でさり気なく、くどさや押しだしの匂わないレーピンの絵に惹かれ、この人とは「仲良くなれそう」と感じました。

絵を通じて、複数のロシア人に親しみを抱いたせいで、未知の土地で景色は見えず気温は感じないものの、そこにいる人々の体温を感じるようになりました。

気になって航空券を探し始めたのですが、チケットの入手はさておき、宿泊やビザの手配には次第に苛立ちと困難を覚えました。ためしに探している程度だったのですが、閉鎖的で矛盾をはらんだ制度と、いつも結果の見えないトライを繰り返すロシア自由旅行に、かえって燃えてしまったというのが本音です。
突き放されると、追いかけたくなる・・・?人の真理ですかね。(笑)

ロシアとのラブゲームに翻弄されるうち、行事や稽古の合間を縫って作った休暇予定の日が迫り、ビザ申請のタイムリミットが刻一刻と近づきました。この日を過ぎたら諦めようと思う時期とほぼ同時に、すべての手配がつく目処が立ちました。
いつでも、ダメならよそう、そう思っていたら、案外ロシアの方でも私を呼んでいたみたいです。

いつかはシベリア鉄道も、サンクトペテルブルグも、ウクライナも・・・・・・見たいところはたくさんありますが、一箇所、短期間しか行けないときは、とりあえず首都を選びます。その国の現在の「顔」が見えるし、顔が見えれば何処を向いているか視線を読める。何を言っているのか主張が聞こえる。
それに首都には必ず、美術館、博物館、権威の象徴、宗教の殿堂があり、経済の波、政治の色、若者の思考が現れて見えます。ロシアをさらに好きになるかは、首都を試してからにしましょう。

この旅がよければドフトエフスキーもトルストイもプーシキンももっと読むだろうし、最初のきかっけに戻りますが、昔読み込んで傾倒した少女漫画「スワン」で知ったバレエの世界、ウクライナの春、チャイコフスキーの見た夢へ・・・心の旅は永遠に広がっていくに違いありません。

そういえば、母方の系等は、肌や顔立ちが白系ロシア似とも言われていたっけ・・・。対象を見つめ始めた途端、縁の糸は幾重にも見えてくるのですね。ちょうど善光寺のご本尊の指から繋がれた五色の糸のように、私をロシアへ導く道筋のすべてが見えてきたのでしょう。以上、これが私のつたないロシアへの道でした。
# by soukou-suzuki | 2009-07-11 00:26 | かわいい妻には旅をさせろ