バルビゾン御代田。

バルビゾン御代田。_c0049825_441540.jpg啓子さんとの散歩の続きでメルシャン軽井沢美術館へ。「千住博の眼 印象派とその源流」展が11月末まで開催中。ミレー、コローなどバルビゾン派の名品からモネ、ルノワールの印象派を中心としたトロワイヨン、ジェームス・スミスやエドワード・ウェイトの風景画、セザンヌ、ピサロなどの印象派、そして、ユトリロ、キスリング、クリムト、シャガールなど、東京富士美術館のコレクションから48点を紹介している。人も作品も多すぎないこの美術館が好き。1時間ほど、それぞれの「風景」の前に佇み、通り過ぎ、2階から見下ろし、気が向いたらまた引き返して「散歩」した。(啓子さんはボナールの絵に似ている、と思う)
バルビゾン御代田。_c0049825_461215.jpgバルビゾン御代田。_c0049825_444387.jpgバルビゾン御代田。_c0049825_45995.jpg









19世紀、パリは市民革命と産業革命で急速に発展し、郊外の開拓も進んだ頃に、フォンテーヌブローの森にあるバルビゾン村にミレーやコローなど画家達が次々と移り住んだ。ミレーはカンヴァスを戸外に持ち出し、最初に「種まく人」を描いたそうな。
我が家は元々、生活がバルビゾン派。ミレーやコローの描く風景に、ヨーロッパへではなく、毎夏を過ごす御代田や軽井沢の風景を重ねていた。バルビゾン村は知らなくても、酷似した生の風景を見ていたと思う。家には僅かながら絵を描く習慣があり、スケッチブックと水彩絵の具やクレヨンと、小さな折りたたみの椅子を持って、川辺や林間に座し、光や風や、虫たちの気配を写し取った。昼時になれば椅子をたたみ、午後も再び戻ったが、描き掛けだった風景は様変わりしており、また椅子の置き所を探し、別の世界を写し取った。次に椅子を畳むのは夕暮れで、夕陽を背に家路を急ぐ時こそ、一番使いたかった赤やオレンジ色の絵の具を活かせる風景が空に広がり、いつもなんだか損をしているような気になった。スケッチブックには昼間の陽光に映し出された山川や花々が残り、胸には溶岩色の夕陽が色濃く残った。
バルビゾン御代田。_c0049825_483253.jpgバルビゾン御代田。_c0049825_492158.jpgバルビゾン御代田。_c0049825_494521.jpg









(↑は子供の頃によく写生した川辺の小道と、森。麦藁帽子を被り、この風景にちょこんと椅子を置き、プチ・バルビゾンしていたのです)
後年、バルビゾン派の絵と出会い、昼餉も夕闇にも左右されず、心行くまでカンバスに向かっていた彼らを知った。(ミレーは私と一緒で、外に出る時間が遅いタイプだったような気がする!?)何にも束縛されず、「自然」に導かれるままに、「今」の中の価値観に身をゆだねている彼らへ、西行や芭蕉のように、自己を解放する旅に出た歌人・俳人へ寄せる思いと同じ種の羨望を感じた。

バルビゾン御代田。_c0049825_4292531.jpg自分もまた「今」を欲しいままに味わったり、自分で作ってしまった殻から自分を解き放つ旅をするようになってみて気づくと、彼らへの羨望は何時の間にか「共感」に変わっていた。
バルビゾン派にとってのバルビゾンのように、御代田は私の原風景であり、旅や文学への原点だった気がする。千住博氏が、私のバルビゾン・御代田へ、ミレーやコローや印象派たちを連れてきてくれ、この地で向き合わせてくれたことに、ひどく勝手ながら、心から感謝している。
外に出ると、さきほどの絵とシンクロする木漏れ日や方影が贅沢に準備されていた。
by soukou-suzuki | 2007-09-09 04:01 | 散歩マニア
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