俳味、ハイミー、美味しくなる。

趣味の一つに俳句があります。
趣味といいましても、性格上、どうしても「ただただ楽しむ」という境地に至れず、趣味という言葉の影には常に「修行」「修練」という文字が付きまとう私です。
多分、他のかたは趣味の世界においてはもっと極楽モードなのではないでしょうか?それとも、趣味って元々ツライものですか?
母に連れ込まれて俳句を初めて、多分4年か5年目くらいです。巡る季節を心のレンズで切り取る「撮影」を、4周以上廻ったわけです。
日本語は凄いです。歳時記に出会ってから、日本の季節は4つではないことを知りました。一ヶ月の中にも、季節の移ろいを表現した言葉が実に沢山あります。
毎年同じ季語に巡り会うと、「ああもうそんな時期か・・・」と思うことばかりですが、振り返って見ると、俳句を初めてからの方が、折々の季節の風景がぎっしり細々と頭につまっています。少しは日々を味わっている証拠かしら。
さて世の中に、桜が咲いても俳句にしない俳人なんていないでしょうし、桜に限っては日ごろ俳句に縁のない人でも、「俳味」を感じるでしょうから、桜ほど詠いつくされた素材もないでしょう。
幾千年も各方面で詠い尽くされた素材で毎年宿題を迫られるのは辛いことでもあります。誰も読まなかった桜の姿・・・なんて、発見できたらノーベル賞ものです。
当然、類句(似たような句)も多発しますから、一文字も無駄なく有効利用し、文体も合理化し、素材のハーモニーにもひときわ気を使います。日ごろは「他人と視点が違う」こと(モノをナナメに見る性格)で助けれている私には、特に苦手な季語です。
やはり「推敲」ということが鍵になるのでしょうか。変換ミス・クイーンと呼ばれ、メールもブログも書き散らしの私にとっては、もっとも縁のない言葉「推敲」・・・。
この「推敲」という文字、「推」=押すと「敲」=叩くを組み合わせた言葉だそうですね。
中国の詩人が、月光の下で寺の門を・・・の次を「押す」がいいか「叩く」がいいかで散々悩んだところからきていると・・・。確かにそれ、俳句を初めて増えた悩みです。
「推敲」した結果は「叩く(敲)」に軍配が上がったそうですが、それも納得。月光に照らされた水底のような蒼い世界に沈む寺の門・・・そこには「音」がする「叩く」方が絶対ドラマチック。
俳句は五感を刺激するもの。俳句に限らない文学全体ですし、料理の世界だって達人になるほど、味覚だけでは勝負してないですね。音楽も、本物にはリズムだけでなく色がある。いや、何でもそうですが、本物は第六感さえも刺激すると思います。
つまり遭遇した側が経験から「納得」するなら上手い句、未体験ゾーンの出来事を「分からせちゃう」ことができるのが本物、という気もします。
私も一つでも多くの刺激を持った句ができたら幸せです。で、いつか誰かの第六感を刺激する”生涯の一句”を授かったらなお幸せ。
痛かったり、柔らかかったり、臭かったり、熱かったり、滑らかだったり、甘かったり、痒かったり、さらさらしたりする句が沢山できるように、日ごろの五感を鍛えなくちゃ、です。
そのためにはやっぱり、美味しいものを食べたり、広いところへ「ぽつねん」と佇んだり、落差を体験したり、マッハで飛んだり、月を引き寄せて見たり、着物で体をぐるぐる巻きにしてみたり、たまにはソワレで背中を出して見たり、パジャマでぐーたらしたり、引き締めてみたり弛んでみたり・・・いろいろ味わってみるしかないのですね。
だからいつのまにか、「日常」も「余暇」も「仕事」さえ、趣味のための修行・精進の一貫となってしまう私なのです。
私が経験したことのない五感を募集しています。できれば心地よいやつをご紹介ください・・・。
by soukou-suzuki | 2005-06-01 12:44 | Hikari NOW!
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