自分で意識しないうちに、何かについて歯止めが効かなくなるときはありませんか?
買い物や、飽食や、残業や、体調不良、携帯メール依存や、愚痴や、引きこもりも…。
それぞれ現象は違うけど、どこか似ている。同じ匂いがする。
確たる原因がないから、自然に戻ると安易に見たり、逆に無理やり納得材料を探し求めたりしているうちに、なんだか抜き差しならなくなりそう。
そんなときはリズムを変えるようにしています。
軽いところでは、長めの散歩。
というか徒歩帰宅。
髪型を変える。
口紅を新調する。
本を声に出して読んでみる。
日頃のお世話に対してお礼状を書く。
洗面所の必需品たちの配置を変えてみる。
アイロンマニアになっていろんな物をプレスする。
靴を磨く。
玉ねぎやニンニクや生姜を滅多矢鱈に微塵切りする。
スポンジ、タオル、バスマットを新調する。
家の中で粗大ゴミがないか探して少しでも多く出す(ことに燃えてみる)。
詣でる。
なんだかこうしてみると、思い付くそばから書いたのに、結局家事や事務全般は心のスイッチなんだと気づく。
パソコンの最適化をするときアイコンが、欠けたキューブを細かいキューブで整形し直すイメージだったような気がする。
紙を揃えるときは、重ねてトントンと机に当てる。
隙間をなくすことが揃えることなんだろうか。
茶筒をトントンしていると、細かい茶葉は下の方に沈む。
身体をトントンとリズムにのせると、心の隙間が詰まって、形がすっきりするのかな。
細かいことは下の方へ沈みたがり、大雑把なものが表面に浮いてくる。
全然、別々の仕掛かり事が、細かさでくくられ、一辺に片付いたりする。
大揺れ小揺れしていたら揃わない。同じリズムでトントントントン…がいいみたい。
これらはリズムが乱れたときに、つまり惰性から何かに歯止めが効かないときに有効そう。
もうひとつには、生活がマンネリズムというリズムに支配されているときも歯止めが効かない。
そんなときは、心を動かさずにしんとさせてみる。
佇む。
樹の幹に触れる。
一枚の葉をつぶさに見る。
目を閉じて音を聞く。
大の字になり手を開いて天に向ける。
合掌する。
鏡を磨く。
キーボードの埃を払う。
スペシャル洗顔する。
祈る。
…。あれ?なんだか似てきたな。
結局、生活に身を入れると心の揺れはおさまるみたい。
「大切なことはひとつです」とイエスは言ったとか。
大切なことは何も決まった特定のものじゃない。
今、自分がしていること以外に、心を込めるべきことなどない。
今していないことに心を砕くことはできても、心を込めることはできないものね。
心を込めて、今、今、今を生きよう。
秒針のように今だけを刻めば歯止めは効くはず。