通勤投稿『長閑』

長い閑。長閑と書いて『のどか』と読む。春の代表的な季語の一つです。
長閑さと普段あまり縁の無い生活を送る私も、句会の謙題として毎年この時期にこのことばに巡り合います。 私の長閑はフリージアとともにあります。毎年四月の声をきく頃になると、桜よりほんの一足早く花を咲かせるフリージア。力強く芳香を放ちながら、鮮明な黄色と濃い緑のコントラストに陽光が当たる様は、視たものに春を直感させます。豆科だと言う事が意外なまでの生命力は、原産国が南アフリカと言われると納得に変わります。
結婚して浦安のマンションに住み始めた頃、賢一は自室のバルコニー前にあたるマンションの敷地に、こっそりフリージアの球根を埋めました。それは子供時代に小学校で貰った一個の球根が、お婆ちゃんの家の庭で世代を重ね、数百個に増えたものの幾つかなのです。
それから毎年、春になるとたくましく花を咲かせ、今はちょっとした花畑になっています。毎年この時期になると道行く人達の足どりを緩めて、一言二言の会話を産んでいることが窓越しに分かります。根がせっかちな私は、こういう他人様の長閑を通じて、ようやく長閑さを味わうことができるのです。
新居の購入が決まったのは昨年三月、フリージアの咲く直前でした。来春の引っ越しが決まるや、その日から浦安に関わる総てが見納めに思え、鮮明に記憶の襞に染み込んできました。十年間、気にも留めなかった木々や草花、花壇や商店まで、その良さを汲み取ろうとしていた気がします。咲いてみて初めてそれが桜の木であったことに気づく木のなんと多かった年か・・・。
その年の、特に愛しく感じたフリージアの花が終わり、球根に来年を託して地表部分は枯れ干乾びた頃、賢一は再びスコップを取り出して来ました。一部の球根を掘り起こし、綺麗に泥を払ってから、スーパーで買ったにんにくのネットに詰めて、玄関先の日陰に吊るしました。どうやら新居のテラスに連れて行く気です。大きな背中を通じて、球根に期待する小学生の心が透けて見えていました。その後、引越しを睨んで小さなプランター3つに分けて植え、緑の葉が伸びるのと、新居のマンション落成とを見比べる今年の寒明けでした。
さて、昨日ついに南アフリカ・・・、愛知県、浦安市、世田谷区と長い時間と距離を旅してきた我が家のフリージアが、瞳に痛いくらいの黄色で太陽と張り合うように花開きました。
開眼したフリージアたちは、あたりの様子が違うことに気づいているのでしょうか。あるいは虎視眈々と、この地に仲間を根付かせ、自分はさらなる旅を続ける算段をしているのでしょうか。その「強かさ」と「華麗」さには、生命の煌めきを感じずにはいられません。同時に、フリージアを使って自分の足跡を方々に残している、賢一の「意図しない意志」にも、少なからず圧倒されているのでしょうか。
春にあふれ出る生命力を、傍らで淡々と眺める時間こそ、「長閑」なのかも知れません。自分も咲かなくちゃいけないですかね。いえいえ、私は寒中でも咲くときは咲きますからご心配なく。

引越や見納めとなるこの桜

フリージア連れて引越し海渡る   (東京湾を渡って来ましたから^^)
by soukou-suzuki | 2005-04-07 01:34 | Hikari NOW!
<< 観桜散歩 通勤投稿『初稽古』 >>