松の浦か・・・。

松の浦か・・・。_c0049825_0573739.jpg松風の音―。

茶の湯では、”釜が煮えるかすかな唸り”を、「松風の音」と表現します。
海辺の松の梢をわたる風の音を思わせるからです。

実は、私の名前は、松浦なんです。15年ぶりですけど。




松の浦か・・・。_c0049825_0575621.jpg松浦ひかり、か。
なんか、意外と絵になる風景かも知れないなぁ、なんて。
実は今日、生まれて初めて気づいたのです。

ふり向けば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ

ふと思い出しました。

松浦の家紋は梶の葉です。梶の葉といえば、七夕。紙の代わりに梶の葉に文をしたためた古の恋人たち。
梶の葉の家紋は、九州の松浦(まつら)に通じることを意味します。




松の浦か・・・。_c0049825_0584057.jpg実は、紫式部の書いた「源氏物語」の主人公、光の君のモデルは、遠く松浦の始祖をモデルにしたといわれています。900年も前の話です。真偽はいかに・・・。でも私はそうと信じて楽しんでいます。

財団法人「松浦資料博物館」発行の「史都平戸」によれば、第52代嵯峨天皇の第18代皇子、融(とおる)が、832年に源姓を賜り、家紋は三星(太陽・月・星)を用いて朝廷に仕え累進して左大臣となり、皇太子の教育係を務めたとあります。松浦家は、この融を初代と数えて年表を添えています。
公(融)の詠んだ歌、

 陸奥のしのぶもちずり誰ゆえに みだれそめにし我ならなくに ―

は小倉百人一首にあります。この融こそ、光の君のモデルと言われているのだそうです。



松の浦か・・・。_c0049825_0593917.jpg松浦の先祖といえば、歴代当主の中でも、第34代の清(きよし)、またの名を松浦静山(せいざん)という人が気になります。江戸時代の人で、「甲子夜話」という聞き書きの随筆を、還暦から初めて何百巻と書き繕った人です。収集も好きで、なんだか気が合いそうな個性派そうです。

平戸は2度ほど訪ねたことがありますが、なんだかまた縁が深まったので、いきたくなりました。
次回は、茶室でも何かを感じてきたいです。始祖は歌人で、先祖は茶人。なかなか、離してもらえないわけです!?すっかり松浦から離れたとおもいきや、15年なぞ、900年のしぶとい歴史に比べたら瞬時のことだったようです。えにしは手繰られ、また松浦を名乗り、梶の葉を背中に(紋)背負うことになりました。




松の浦か・・・。_c0049825_102741.jpg211221。
今日の日付です。
1と2ばかりの日付。
いちに、いちに、いちに・・・。
今日はひかりのもう一つの誕生日だったのかもしれません。そうメールに書いてきてくださった方々へ、嬉しかったです。

ところで、このブログのタイトル、どうしよう。(^^;
by soukou-suzuki | 2009-12-21 23:59 | Hikari NOW!
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