「影」という字は、光によって映し出された景色のことを言うのだそうです。景色の「景」に、日光が差し込んでいる象形文字なのね。
陰は、陽のあたらない部分。つまり影は陽の光のことでもあるのですね。 影のある人と、陰のある人では、大違いです。陰は、影(光がつくる景色)の一部分ですね。写真は、十一月の末に、光と影の関係を考えながら古民家を見ていた、ある小春日和の正午の記憶です。 世田谷句会 12月 兼題「冬麗(ふゆうらら)」の結果 ◎ 何もかも微笑み交はす冬麗 ひかり 主宰特選でした。社会が殺伐としていても、不景気でも、体調が悪くても、心にくったくがあっても・・・、極楽俳句をひたすら詠んでいきたいです。 ◎燦々と木の葉言の葉冬麗 ひかり 主宰特選でした。靖子選も。 療養中は、木の葉の輝きがまぶしてくて、人々の言葉の一つ一つがありがたくて、みんな光を放っていました。人の心は、木の葉一枚、言葉ひとつで、洗われもし、暖められもし、輝きもします。 ○討入も裁判もなく冬麗 ひかり 主宰普通選でした。他に、壮午さん、靖子さん、睦久さん選に。 弁護士である大高主宰の句だと思う方が多かった様子。冬日に暖められている間は、争いごとや社会の複雑さゆえに感じる矛盾も、かなた遠くに思えます。時に戦いは必要かも知れませんが、それ以上に必要な安息と平和。その一時を大切に味わっておきたい。俳句に残すのは感謝の気持ちです。 公園のベンチS席冬麗 ひかり 美奈子さん、道子さん、靖子さん、静さんの選に入りました。 人生や生活の中に、見落としてしまいそうな「S席」や、エンターテイメントがある・・・。そういう小さなライブに気づける人でありたい。お茶や俳句は、感謝の種に気づく力をつけてくれる大切なレッスン。 庭草履揃へたくなる冬麗 ひかり 道子さん、静さん選に。 我が家に庭はありません。テラスに出るためのサンダルが置いてあるだけ・・・。 茶室や庭園に向けて、庭草履に誘われることがあります。揃えておいてある庭草履は、インビテーション・チケットです。誘われてみない手はありません。 懐かれてこの子どこの子冬麗 ひかり 知らない子に妙に懐かれてしまい、話を繋ぎつつも、「ところで、この子、何処の子?」と不思議に思うことがときどきあります。パリのオルセー美術館では、印象派の部屋で、金髪の小さな女の子が、「ママーン!」と言って飛びついてきたことがありました。産み落とした覚えはありません。戸惑ったけれど、ふんわりした衝撃が心地よくて、ぎゅっと抱きしめ返したくなりました。 作句の冴えなかった日でも、句会に出れば、「今日の一句」に出会えます。他人様が作った句でも、ストレートに心に届く十七文字に出会い、気持のベクトルをひょいと変えてくれたり、視野をぐっと広げてくれたり、胸にすぅっと一陣の風を送り込んでくれたりする。 「座の文学」って、ぶつかり合って、磨かれるのですね。 感銘を受けた句を紹介します。(作者・敬称略) 残る日を悔ひなく生きん十二月 (静) 走り根のスクラム組みし冬木立 (睦久) 先ず越へし平均寿命冬麗 (凛風) 学生に混じり聴講帰り花 (壮午) 赤き薔薇供へて雪の墓静寂 (道子) 古暦喜怒哀楽を鏤めて (靖子) 黄落や犬しゃなしゃなとお洒落して (靖子) 冬麗眉間眩しき野点席 (靖子) 俳句は断定の文学、言い切ってこそ、です。 短歌は、最後が七、七、と余韻を残す散文調。 どちらもよさがあるけれど、俳句は「言い切り」が大事ゆえ、潔さをもって生きていなくては、名句とはならない。そこに厳しさを感じます。 詩のモチベーション、「詩因」を何処から受けるかが大事だと主宰の言。十七文字に、何処まで真剣に向かえるか、何処まで覚悟したかは、おのずと句に現れてしまうのでしょうね。 「俳句は人なり」 何に心動かされて、何を削ぎ落として生きていくか。確かに、作句は、生き方に通じます。 自分が見えてくるのも俳句の面白く、恐いところです。 柊の葉の、固くて痛そうな棘とげしい形も、冬日を受けてやわらかく光り、「あたたか色」をしていました。 桜紅葉が、風に揺れる度、「いま、旅立とうか、どうしようか・・・」と、迷ったように首を振ります。 奇麗やなぁ~。 と口を開けたまま見上げ、首が痛くなり、私も桜紅葉のマネをして首を振ります。 見上げると、次の風を待っている桜紅葉とまた目が合います。 奇麗やなぁ~。 以下、繰り返し。 目を開けば美しいものに出会える。そにあっても、観なければないも同じ。「美」だけなじゃい。「ありがたみ」もそうだし、「嘘」も。 自分の中にある孤独もそう。 見つめなければ気づかないで生きていける。 見つめて、実感して、味わって生きることもできる。 隠し味程度にそこはかとなく加味しておきたい。 どろどろの孤独味はしつこいし、胃にもたれる。 でも、これがないと、「こく」が出ない。 強くなりたければ、弱い自分を知って、受け入れること。救いなどないと、分ること。 強い自分が嫌なら投げ出してしまうこと。徹底的に自分のエゴに負けてしまうこと。 反対のことを言っているようで、どちらも同じこと。 今の自分に、素直に反応して、感じること。強いとか弱いとかは、勝手に判断している外野の価値でしかない。自分=どうしようもないもの。自分に降伏してしまえば、征服できる。
by soukou-suzuki
| 2008-12-07 00:44
| 散歩マニア
|
検索
カテゴリ
全体 洗心会ご案内 Hikari NOW! THE 暖簾(のれん)! 母のこと 計画中 よしなしごと 私のお気に入り かわいい妻には旅をさせろ この人! 散歩マニア 茶味禅味俳味一味 ザッツ★エンターテイメント! 学びの函 言葉拾い おうちごはん 漂泊の人 おうちおやつ お気に入りブログ
ブログパーツ
以前の記事
2020年 09月 2020年 04月 2019年 08月 2019年 05月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 05月 2017年 05月 2017年 04月 2016年 12月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 06月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 タグ
ライフログ
その他のジャンル
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||