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ファミリー体験広場、実施中!

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都庁広場にて。三時まで。
by soukou-suzuki | 2007-09-30 13:31 | Hikari NOW!

白い炎

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白彼岸花を見つけました。白く発光する庭の一隅。雨がまたぽつぽちと落ちてきました。
by soukou-suzuki | 2007-09-29 16:29 | Hikari NOW!

追分 蕎麦屋『ささくら』

少し前の話。信州の追分にある蕎麦屋『ささくら』の写真です。母と賢一と3人で、上京前に夕食をとる。暖簾をくぐると、「蕎麦が切れていてただいまお待ちいただきます」と。蕎麦打ちを待つ間に、サンマ、蕎麦の実のコロッケ、生湯葉春巻き、茄子の味噌田楽などで雑談。
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奥の小上がりには、山頭火(さんとうか)が浅間路で詠った句の碑を、手拓で写した軸がかかる。
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by soukou-suzuki | 2007-09-26 01:50 | THE 暖簾(のれん)!

千宗守宗匠(武者小路千家お家元)と

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日本オペレッタ協会の寺崎芸術監督夫人にお誘いを受け、本田財団の定期勉強会(講演会)に初めて連れていっていただきました。仕事を終え、薄暮の濠沿いをパレスホテルへと徒歩で15分。心地よい風に吹かれて気持ちよい散歩でした。
講演者は、武者小路千家の当代お家元で、財)官休庵の理事長である千宗守(せんそうしゅ)宗匠です。初めてだし、お茶の話だし、期待は高まります。
約一時間強の中で、「茶」の日本への伝来から、茶の湯の成り立ち、千利休と歴史の接点、そして茶の湯の根底にある社会的意義まで、バランスよく興味深く、教えていただきました。またそのお話のテンポのよさは、エンターテイメントに昇華された「おもてなし」をいただいた気分でした。編集されたドキュメンタリー番組を1本見たような、あるいは茶事を経験した時のような、深い物語性を感じる一時間でした。お話が巧いということは、なんと多くの人の人生を変えることでしょう!
さて、「茶」の木は禅宗とともに中国から入り、鎌倉時代に禅宗の伝播とあわせて広がっていきました。京都より以前に先ず鎌倉で定着したのです。禅宗では、坐禅をします。坐禅の時間は、一本のお香が尽きる時間で計っていました。抹茶は、坐禅と坐禅の間(学校で言えば休憩時間、舞台で言えば幕間かしら)に、次の坐禅で眠ってしまわないよう、「覚醒するため」に飲用しました。
坐禅の目的は「悟り」を得ることです。禅宗は当時最もモダンな新興宗教で、坐禅の合間には上下僧侶のわけ隔てなく平面に並んで座り、座談会のように先輩僧侶の悟りを聞き、自分の考えを話し・・・つまりそれまでの日本社会にはなかった「平等」と「ディスカッション」という形式を生みだしたことに意義があったそうです。抹茶を喫しながらお互いが一人の人間として、精神世界の話をする・・・これが茶道の原型なのですね。形式は進化しても、目的は、覚醒し、人からも悟りのヒントを得ることだった。(その出発点を、今日の私も大事にしよう~と、話を聞きながら思いました。思えばお茶は、私にとっても常に「気づき」のきっかけをくれる場でした。)
やがて坐禅とともに茶の湯は京へ移り、政治と宗教の潤滑油にもなり、さらに自由都市堺の経済力(武器)と、武士の軍事力との掛け橋となって、歴史を影で動かす重要なサロンの役割を果たすまでに盛隆しました。信長時代には、昨日まで「人の首を取ってなんぼ」「虎を捕まえてなんぼ」だった荒くれ武士たちの教養を即席で磨くのに都合よいカリキュラムだったそうです。軍需産業のメッカであった堺の豪商の財力・知力に対峙して、「話し合いでの協議」や「駆け引き」を対等に行うためのネゴシエーションの場に、総合文化である茶の湯が大いに役立ったのです。
しかし軍需産業ではなく「とと屋」だった千利休が、秀吉となぜあれほどに結びついたのか・・・。実は彼らは、こうした談合サロンの「末席」に並ぶ者同志、つまり気心しれた茶友だったという訳です。(緊張する会議の末席同士か・・・なるほど、「立場の違い」よりむしろ「立場の酷似」を感じるパターンかも知れませんね。解る、解る!会議がはねたら一緒に飲みに言って、意気投合して愚痴ちゃうかも。^o^;)
信長が亡き後(天王山以後)、武士代表となった秀吉と堺が協議する際、商人側の代表選手に選ばれたのが、以前から秀吉と気心が知れていた千利休だった・・・と話は続きます。秀吉によって歴史の表舞台に引き出された利休はまた、秀吉の天下統一の影の立役者ともなったのです。補欠同士だった2人が、代表同士になり、共存共栄の末、終には宿命の対決へ・・・!?(この辺は古今東西の殿方たちが、みな大っ好きなクダリですね!)
さて講演では、『食文化に関して異常なまでに潔癖な日本文化に、この時代に突如として「回し飲み」を作法とする「濃茶」が生まれた背景はなんだったか?』についても触れました。
「英国のエリザベス女王でも、マイ・スプーンやマイ・フォークはない。洗ったら誰のものでもなく使い回す。しかし日本は古来より、自分の箸、自分の弁当箱・・・というように、食文化に関して異常なまでに潔癖だった。それがなぜ、一碗からの回し飲みなどという、奇異な形式を突如生み出したのか・・・。それは当時、自由貿易港だった堺で取り入れられ盛んだったキリスト教のミサからヒントを得ている、一種のイニシエーションなのではないか。政治的、経済的な協議の席上に、このイニシエーションを加えることにこそ意味があった・・・」と。濃茶の仲になることは、契ることであり、血と肉を分けた同胞の証という訳です。
キリスト教弾圧の歴史を経た日本国内には、当時のキリスト教関係資料はおろか、歴史からエピソードまでも一掃されています。しかし当時の宣教師たちは、ヴァチカンに大量のレポートを送り続けていたそうです。国内になくても、海外には日本の状況を示す資料も残って埋もれているのです。現代になって、研究者たちの熱意があって、ようやくその真相が明らかになるかも知れません。今後の展開も楽しみです。
講演会後には、軽いカクテル・パーティーがあり、ピンチョス料理とカナッペ、プチケーキで交流会がありました。幸運にも千宗守宗匠とご一緒に記念撮影。右は寺崎夫人と、ハウス食品の浦添財団の理事長様と。
それにしても、パレスホテルにくるたび、故松本澄江先生(俳句の師匠)を思い出します。ああ、俳句、作らなくてはね(^o^;
by soukou-suzuki | 2007-09-24 01:28 | 茶味禅味俳味一味

シャングリラ!

c0049825_052191.jpgユーミンスペクタクル「シャングリラⅢ」を見に行きました~。シャングリラは、私は10年ぶりくらいです。もちろん案内役約はF江さんの4人連れ。シンクロとサーカスとライブの3身一体は、構想から実施までのプロジェクトの工程を考えると、気が遠くなり、ただもう尊敬いたします。そしてこのステージを1日2回こなすユーミンと仲間たちの精神力は圧巻!
「ユーミンvsお茶の先生」の構図が頭に浮かぶくらい、私の中ではパワフルで創造的な女性たち!



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もちろん大満足な中身なのですが、・・・ただシンクロは・・・、前の座席との距離が近すぎて、その割りには段差が少なくて、誠に残念ながら、ワタクシ水面が全く見えませんでした。3身一体のうち、1/3は見えなかったということ・・・。(YoY)前後だけでなく、左右の距離も物凄~く近い上に、右となりの人が巨漢!でして、ず~っとその方の脇の下に抱え込まれているような胸苦しさを感じておりました。でも一目見たときから、「この人と賢一が並ぶのは無理だわ~!」と思ったので、そこに座るしかありませんでした。従って両サイドの「The★肩幅攻撃!」を一身に受けておりました。また前の人の頭がなぜが「大きく」て、これがカップルでして、すぐに隣の女性と2人で頭を寄せ合って会話するのです。その間はシンクロは愚か、ユーミンさえも見えないので上の方のサーカスがないと見るところがありませんでした。2人の楽しそうな会話のシルエットを指を咥えて見るよりほかなし・・・。(2人の頭を両手で引き離す訳にもいかないし・・・ねぇ^^;)スタンディング・オベイション時は、トウ・スタンディング(爪先立ち!)な私でした。もう、足、攣りそう・・・。
ねぇ、ユーミン、(←「ねぇ、ム~ミン♪こっち向いて」を思い出す。歳がばれますね)もう少しだけ座席配置、お手柔らかにお願いできないかしら?!12000円でパイプ椅子でもいいのよ、拝見させていただければっ。(><;
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千駄ヶ谷の東京体育館敷地内にあるフレンチ、「アリス・ガーデン」へ。風の通るテラス席で、暮れなずむ中、ゆったりお喋りできました。リーズナブルな割りに、味も盛り付けもしっかりしていて、ご近所フレンチに最適なお店なんだけど、この日はスタッフ不足が「目に見えてしまう」くらい・・・。前菜からスープまでに30分以上かかりました!それだけにヴィシ・ソワースの写真が5枚もあって、よっぽど待ち焦がれていたのだな、と自分でも後から見て呆れました(^^;
「あのテーブル、次に運んでくるのがまたパンだったら、暴動が起きるかもね!」なんて言いつつも、気心知れた同志なので気まずさもなくお気楽~。実際、店内を覗くと、団体客のテーブル上には、パンとワインきり、何も乗っていないでした。宗教画を思い出しました!(Y_Y)c0049825_057163.jpgc0049825_0572723.jpgc0049825_0575063.jpg









賢一とN沢さんはほとんど初めての同席ですが、同じ会社に勤める2人・・・ローカルな情報を交換しながら次第に打ち解けてました。初めてちゃんとお引き合わせできました。私も賢一も知らなかった福利厚生の制度を教えてもらったりして、大収穫・・・に繋げたい。
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by soukou-suzuki | 2007-09-23 01:10 | Hikari NOW!

夏の後姿

丸の内点景から。左はある残暑の日のランチ。Saigon(ベトナム料理)の「ベトナム風カレー」。まだ赤い物にしか胃袋が反応しない、暑い日がありますね・・・。ふぅ。
右はお濠端の風景から、夕映えを水面に映して・・・。残暑のイメージカラーはやっぱり赤かしら。だいぶ粘ったけど、さすがに夏も門限が気になるらしく、夕方には遠慮がちにおずおずとした後姿になって来ました。皇居の石垣を見ていたら、絵に描きたくなりました。
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左はお濠端の景色NO2。パレスホテルに、ふんわりと柳の葉陰がかかる。物思いに耽る誰かの横顔を見ている感じかしら。
右はAUX AMIS(オザミ)のある日の魚料理。早くジビエの季節にならないかな・・・。
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by soukou-suzuki | 2007-09-23 00:21 | 散歩マニア

若水会inA木氏結婚披露宴2次会

そのメキシコ仲間からのメールでの「知らせ」は唐突でした。週末に結婚するっていうのです。”自分大好き”のA木君なのに、なぜこんなに告知が遅れたのかしらね・・・?それに、あまりにも素っ気ないお誘いの文面・・・。でもそこに、かえって隠し切れない彼の「照れ」と「幸せ」が容易に汲み取られて、在り合せの格好のまま、とにかく馳せ参じることにいたしました。場所は表参道のリマプル(LIMAPULUH)。はい、A木君、想像通りやっぱりタキシード似合っていますよ♪奥ちゃんはこれまたキュートな赤道小町タイプ(^^)サンサンと明るいパワフルオーラを発散していました。奥ちゃんのお友達・肝いりのパーティー企画も洗練。とにかく、末永くお幸せに~!
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若水会仲間を煽ってしまったかしら?こんなにたくさん再会できました。
それにしても・・・Big News!なんと、カメラでメキシコへ行ったA座上氏と、メキシコへ行かなかったのに若水会重鎮となった茶友のF江さんは、小学校の幼馴染だったことがこの日、新たに判明しました!(@@;(↓左の写真。改めて乾杯♪)
それも、A座上氏は、小学生だったF江ちゃん憧れの「お洒落で足の速い可愛い転校生」だったのですって!お家にもドキドキしながら遊びに行ったことがあったのです。残念ながら上野毛にいたのは極ごく短期間だったので卒業名簿にも居ないA座上君はそのまま「謎の転校生」に。30年以上ぶりに会えば、すっかりオヤジ様になっていました!?あ、ってことはクリちゃんと同学年でもあり、玉川小学校時代の私の先輩にあたるってことです。(まずい・・・体育会人間にとって後輩は舎弟も同じ^o^;)ほらね~、人生ってどう繋がるか解らないから、怖くて面白いっ♪
愛知から出てきたM君と、ベトナム製オーダーメイド・アオザイのT代さん。そしていつも面倒見のよいミカ嬢も。本当に、人を大事にする人たちです・・・。
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宝塚の涼紫穂(すずみしほ)さんが2人に歌のプレゼント♪いや~立ち姿が美しいです。写真にサインをいただきました。歌詞に「ひかり」が10回以上出てきて気恥ずかしい私でした。(賛美歌以外では、甲子園の名門、池田高校の校歌以来の「ひかり」連発でした)
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by soukou-suzuki | 2007-09-23 00:01 | Hikari NOW!

20,000回目のコンバンワ

c0049825_1122320.jpg一昨日の夜だったようです、ブログ訪問者が20,000件を超えていたのは・・・。もうすでにそこから200件を越えましたが、これも一つの一里塚かしらん、とお知らせします。
コンバンワー。オヤスミナサイ。ア・リ・ガ・ト・ウ。
by soukou-suzuki | 2007-09-21 01:12 | Hikari NOW!

Putit Lupin の栗のタルト

御代田の家から歩けるところへ喫茶店ができました。気づけばこんな集落になって、大きな家が建っていました。向こう側は国道で、浅間サンライン入り口の交差点近くです。
御代田で生菓子が食べられるなんて・・・子供の頃は不可能でした。デザートは作るしかなかった。和菓子は羊羹のみだった。舗装されていない道を、ケーキは無理だし、パンを買ってもネブミのかじった跡があるくらい、加工食料品店には不満だった。「時次郎まんじゅう」はよく食べたかな。「自然にひっそり住みなして」いたいのも本当だけど、女だもん、お茶もしたい・・・何処でもドアみたいに「ここに」と言ってしまいそうになるくらい、すぐ傍らに、道を突き当たるとそこに、喫茶店があった。
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夏にクリちゃんが目をつけて、ニシヤンの誕生日ケーキを買ったところなのだとか?Putit Lupinさん。
庭の粗朶を集めて燃やし、足腰がだるくなるまで労働したら、お風呂上りに甘いものを食べたくなった。
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さっきまでの野趣溢れるし感じより、幾分、人に慣れて優しい面持ちの自然と出会う。ロイヤルミルクティーがこっくりと、体の芯にかかっていく。気だるさが体の中で膨張したり、縮んだり、風と一緒に揺らいでいる・・・黙っていると眠ってしまいそう。オーナーは四国の方とか。
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by soukou-suzuki | 2007-09-21 01:03 | 散歩マニア

雑木林の一本でも

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御代田からです。台風9号の爪痕、各所にあり。我が家は幸運にも…というべきなのか、樹齢45年の白樺の大木が倒れただけ?!でした。現場写真は帰宅後に掲載します。
家の裏では、隣地に生えていた赤松とどんぐりの大木が人より高く土を盛り返して根ごと倒れています。野趣あふれる景観です。倒れた幹は、頭くらいの高さで水平に続いています。枝振りがよい大木ほど、倒れても、地面から高い位置で横たわるのです。
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30年前の台風を思いだします。あの時、倒れかけ、斜めのままにかろうじて生き残った白樺は、あまり成長せずに今も同じ場所に残っています。日陰にあり、根を張る場所も岩がおおいのか、ほとんど成長しません。今回倒れた白樺は対照的に、その頃から比べて、太さが倍まで成長し、4階建てくらいまで伸びていました。同じ樹齢の木でも、成長も違い、死期も違います。当たり前のことだけど、考えさせられます。
家もない雑木林なら、倒木もそのままにしておけますが、電線を寸断したり、屋根を壊したり、アンテナを折ったりと、放っておけない事情があると、みなそれぞれに処理や修繕に追われます。
c0049825_04116100.jpgそうした作業をしながら梢を改めて見上げると、周囲のどの木も脅威に思えてきます。次の台風を恐れて、切り倒しておこうかと思いはよぎります。でも、その木が普段、私たちの生活に与えてくれている効果も適切に把握して臨まないと、取り返しがつきません。地域全体や地球全体にとっても、ここに雑木林があるかないかは少なからず関係してきます。
自然になるべく手を加えず、自然の中にひっそり入れてもらって、その懐に住みなしたくてわざわざ建てた家です。そのための広めの土地に小さな家…というあんばいながら、万一木が倒しても自分の敷地を出ないためには、(隣家に迷惑をかけないためには)背の高い木を諦めなくてはならない時もあります。
背の高い木は、栗鼠の通り道であり、警戒心の強い野鳥の憩う場でもあり、だからこそ私たちも癒されているのですけれど…。
c0049825_0414025.jpg感謝して住まわせてもらっているつもりでも、結果的に私たちがいることで雑木林が間引きされ、やがてなくなるのはなんともやりきれない気分です。
今ある大木が、火山灰地に僅かな土を見つけ、種子から実生となり、無数の植物と太陽を争い、台風を耐え、水不足を凌ぎ、多種との興亡を重ねて勝ち抜いてきた木で、その過程を見てきただけに、一本の木を自分や他人に置き換えると切なくなります。
切らなくても、白蟻や台風である時を境に、静かにその存在と気配をなくす木もありますから。スケッチブックに何度その木を描いたかな…と、庭の木を眺めながら、思い出したりしています。
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by soukou-suzuki | 2007-09-16 15:21 | Hikari NOW!