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世界水フォーラム in Mexico

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皇太子殿下もお見えになった、第4回世界水フォーラム。そのエキジビション(展示ブース)において、CTIさんのご支援で、来場者の方々にお呈茶(お菓子とお抹茶のサービス)を行いました。お陰さまで体調を崩すこともなく、6日間で述べ900名あまりの方へ、日本の伝統文化である茶道の一側面を見ていただくことがかないました。これはそのご報告です。
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出発・・・・
3月15日。史上初の東京―メキシコシティ間を直接飛ぶJALチャーター便が、浩々と照る春満月の夜空へと浮かび上がりました。エコノミーでしたがお食事はSeason'sクラスで、若草色のクロスにグラスでいただくワインはさぞ美味しかったのでしょう、さすが智代、軽く2本空けました。
窓側の席は常に母の優先席です。月と星と雲と海と太陽・・・天文学的な景色しか見えない僅か20cm四方の小窓に、13時間もひたすら額を押し付けているハイジを横目に、到着してからの修羅場に備え、少しでも睡眠を取っておこうともがく私と智代でした。
それでも、東へ飛ぶ飛行機を両手で抱きとめてくれるスケールの大きな朝陽や、神々しいまでの明けの明星には2~3句授かりました。やっぱり”春は曙”でしょう!

メヒコ・モード全開・・・・
ホテル・ニッコー・メヒコのロビーに着いたのは、既に予定を1時間以上過ぎていました。
早くも”メキシコ時間”にシフトしたようです。時差とは別に、さらに”読み”が必要な時間感覚です。タイムスケジュールは、国境を超えた瞬間からメキシコ風に読み下さなければならなかったのでした。
変圧器と水をご手配いただいたハザマ駐在の原一路さんは、そんな遅刻を責めるでもなく、よ~く日焼けした笑顔で迎えてくれました。
茶道具9箱、10Lの水4本を抱えて準備の為の会場入り、時刻は既に22時。”今朝”自宅のベッドで目覚めてから、既に27時間が経過していますが、今日のお仕事はこれからなのです。さてここからの情報錯綜とセキュリティチェックの混乱、荷物の重さと会場の広さ、夜の永さは、泥沼を泳いで渡るような生き地獄でした。
現地の深夜1時過ぎ、目覚めてから30時間後、マッシュルームのクリームスープで人心地つくまでは、何かを呪わずにいられなかったわが身の未熟さを痛感!
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VIPをお迎えして・・・・
黒い髪の一団が展示ブースを悠々と移動していた。ご一行様の中心は、橋本元首相でした。一人、白髪の先導者と思しき方は、リバーフロント整備センターの理事、竹村先生でした。CTIブースまで案内いただき、橋本元首相からは、「うわ、お茶を。日本からですか、ご苦労さまです」とねぎらいのお言葉を頂戴しました。

そして更なる黒山の人だかりを従えて終にお見えになった皇太子殿下。
CTI会長ご夫妻とご挨拶の後、会長が「裏千家の松浦先生です」とご紹介くださり、殿下からは「ああ、裏千家さんですか」とお親しさを込めたお言葉をいただきました。お茶を召し上がっていただく時間はありませんでしたが、室礼を眺め、私たち一人一人と目線を交わしてくださり、他のブースの方々には申し訳ないくらいでした。
そうして殿下ご一行が往かれた後、その場の空気の「芯」がホロンと抜けました。場がほぐれた瞬間、会長ご夫妻やカメラマンの阿座上氏、関係者の皆様と私たちの間に、”共通の心持ち”(一種の安堵感)が芽生えたことで、互いの心の距離がぐんと縮まりました。

その後、先生のお点前で、お一人お一人にお茶をお出しして、この出会いに至るきっかけとなった柏崎さんの話をしました。御園棚に飾られた棗(なつめ・抹茶の粉を入れておく容器)は、その柏崎氏が飛騨の高山で買ってきてくれた紅春慶でした。水を愛し、自然を愛し、お茶を愛する彼の結んでくれた出逢いを、遠くメヒコで愛でつついただく一服は最高でした。
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人の”初めて”を見る喜び・・・・
呈茶が始まると、こちらが驚くほどの人気を呼び、見る見る人垣ができました。
「これは何?」と訝しがって遠巻きに見る人、抹茶の粉の鮮やかなグリーンに驚き原料や製法を根掘り葉掘り聞く人、抹茶を一口含んだ後の”覚醒の瞬間”大きく目を見開く人、茶道具の美しさに惚れ込んで買いたがる人、ネイルアートの長い爪先で茶碗を揺らしながらシャーマンを見るように神妙に点前に見入る人、柄杓から釜へ注がれる水と立ち上る湯気を、まるで奇跡を見るようにカメラで連写する人・・・私も初めて目にした時は同じような反応を示したのだろうけど、こんなにも表情豊かだったかしら。反応が数倍になって目に見える海外呈茶は私に”初心”を覚醒させてくれました。
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恩地日出男監督・・・・
リバーフロント整備センターの方々にお供し、日墨会館へ。メキシコ日本商工会議所と共催された、恩地日出男監督作品、映画「わらび野行」を見に行きました。150年前まで日本に実在した「姥捨て山」。映画では、60歳の春になると自ら山の”わらび野”へ赴き、そこで生活する。食事は里へ下りて施しを受けるのだが、やがて冬になり里への道が閉ざされることで自然に息絶える”里の習し”として描かれている。「死を待つこと」と、「今を生きること」はやがて一つに同化され、「里の生活」も「わらび野の生活」も”厳しさ”と”喜び”においてシンクロしていき、やがては「精神の飛翔」と「肉体の苦痛からの開放」から「輪廻転生」へとスパイラルしていく・・・。
上映前の恩地監督の挨拶で『戦後の焼け野原の日本には、食べ物も着る物も無かったが、空は青く、川は澄んでいた。そして”今日より明日は確実に豊かになっていく”といく希望があった』という言葉に、同年代の母はぶんぶん頷いていました。
『天にも地にも胃袋にも何も無かったけど、平和が満ちていた、もう防空壕に入らなくていいのが嬉しくてしょうがなかった・・』そういえば、そんな風によく言っていたのを思い出しました。


合宿後半・・・・
早朝のお支度には慣れていたつもりでしたが、6日間連続の呈茶というのは思い起こしても経験がありません。日々、着付けの要領が良くなる自分に多少満足しつつも、平均睡眠時間が3時間の毎日に、体力は目に見えてダウンしていきます。時差なのか、高地ゆえの酸素不足なのか、疲労なのか体調不良なのか、判然としないまま体に鞭を入れます。懐かしい柔道部の合宿の時のように、指を折って残りの日程を数える毎晩でした。
30代の私たちでさえこれだけ辛いのだから、古希の母は大丈夫なんだろうか!?内心ビクビクしていたのですが、”旧型携帯電話”のような母は、直ぐに電池が切れる代わりに、充電しだすと短時間で直ぐにパワー全開になります。3時間睡眠モードでは、”旧型”の圧勝・・・、天晴れ降参です。
一番忙しかったのは来場者と私たち・・と言うより”キモノ”との記念撮影でした。幾百の「グラ~シアス!」と幾千のフラッシュを浴びると、スカスカでヘトヘトの筈のわが身に、たちまち不思議な力が漲るのでした。我が家は代々「踊る系の阿呆」で、おだてれば「木にも天にも上る」素直な家系なのです。

新人茶人発掘・・・・
我がブースの通訳嬢は、語学留学中の木村佳代さん。身長145cmのお豆な彼女のスペイン語は関西弁。抑揚のあるおきゃんなスペイン語は優しく耳に馴染み、繰り返される説明をいつしか空で覚えてしまうのでした。
そんな彼女を”変身させちゃおう~!”計画が密かに進行していました。5日目、早朝ニッコーホテルに来てもらい、口角に紅を入れ、明るいチークを入れて、髪を結い上げ(うなじが綺麗なこと!)薄桃色の訪問着に着替えてもらいました。その日から幾百のフラッシュは彼女の為に!慣れない草履がどんなに痛くても撮影に応じ、翌日も自らキモノを選んだ彼女は「女の子」100点ハナマル・キュートなのでした。エキゾチック・ハポン!にはまった彼女が、茶人を目指す日は近いでしょう♪1人発掘なり。
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気絶・・・・
過密スケジュールの合間に、CTIの石井会長様と山下部長のお計らいで、半日づつ計1日のフリータイムをいただきました。素直に「わ~いっ!(^^)ノ”」
日曜の午後はハザマの原さんに案内いただき、”画家の公園”でキッチュな版画を多数ゲット。「メヒコを連れてお家に帰れる」満足に浸りました。
木漏れ日と紫のハカランダの花が散る歩道を、子供達の笑い声と街のざわめき、頬を撫でる初夏の風が、何とも気持ちよいお散歩でした。それから独立記念塔、ソナ・ロッサを回り、お目当てのテキーラを購入する山下氏の瞳がキラキラ輝いていました。
日が暮れてからソカロの夜景を巡る頃には、私はほぼ気絶状態で、口をパックリあけたまま、天を仰いで後部シートで揺られていました・・・。(大和撫子化皮剥!)日本食レストラン「でいご」で満腹になり、気絶→意識不明に・・・。エレベータを降りてから自室までのホテルの廊下の長かったこと。
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警察の尋問?・・・・
キモノを着て、ご出勤前の2時間を歴史民族博物館で過ごしました。ホテルからレフォルマ通りを歩いて15分。途中の歩道には等間隔に置かれた”牛”のアートが。東京丸の内でも「カウ・パレード」と称して、街のあちらこちらの実物大の牛の置物がありますが、こちらのは圧巻!ついシャッター回数が増えます。
途中、警察官に呼び止められ、尋問かと思いきや!「ウナ・フォト・ポルファボール(写真撮ってください)」と、私物の携帯カメラを取り出す。見ればこの街、数十メートル間隔に警官が立ち並び、堂々と携帯メールに勤しんでいる!!お給料が安いらしいけど、それ以前に、「シゴト感」の違いにカルチャー・ショックを受けるマジメナ・ニッポンジンタチであった・・・。
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ムセオから茶室へ連れてって・・・・
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太陽神と交信・・・・
帰国前日、ティオティワカンのピラミッドへ行きました。8年前にも登っていたので、遠慮しようかなと躊躇したけど、8年の間の体力の衰えを実感してみたくなり太陽のピラミッドを登頂!
さて下りようとする頃、あたりに「パチパチ」と乾いた音がする。何かと思えば・・・、なんと雷の静電気が、自分の指先へ落ちてきているではないか!?火花が!遠くの空でごろごろ鳴り出した雷が、急に巨大な恐怖へ変身した。焦る心、心もとない足元・・・。あせ、あせ。
何でも、この前日には「太陽神のお祭り」を再現した催しがあったらしく、特別に大気の力が漲っていたらしいです。雷に撃たれていたら、何か神々しい力でも授かっていたかしら?いやいや、私は普通の人間だからこそ楽しめる人生を謳歌したいので遠慮します。。。

てすこここ・・・・
シティの環境問題改善プロジェクトの現場視察に同行させていただきました。
「TEXCOCO湖(テスココ湖)」という名称を最初に聞いた時は、「すももももももも…」という早口言葉やステテコなどを連想してしまったくらいで、私にはもったいないようなアカデミックな機会を得たことになります。
下水浄化の処理施設や、植林のための種苗育成現場を見せていただきました。巨大な湖沼地帯だったシティが、現在の地盤沈下に至ったいきさつや、盆地ゆえの空気の滞留による大気汚染に悩まされるようになるまでの歴史も教えていただきました。
集合写真の後ろに写っている、地上十数メートルに突き出した煙突状の建造物は、実は地盤沈下によって地上に突き出した、地下水くみ上げのためのポンプだったのです。地盤の沈み具合がリアルに解りました。
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カフェ・デ・タクバ・・・・
せっかくだから、「レトロに浸れるコロニアル建築でお食事したい!」という私のわがままを受けて、最終日の夜は老舗カフェへ連れて行ってもらいました。8年前は、ピラミッド登頂で知り合ったアメリカ人の大学教授と一緒に、「タイルの家」で壁画を見ながら食事したのを思い出す。このカフェ・デ・タクバも、タイルの家のすぐ近くにあって、更に雰囲気よしです。
こうして、マリアッチとテキーラの夜は更けていきます・・・。このメキシコの思いでも、マリアッチのようにリズミカルで、テキーラのように刺激的に、記憶に残ってくれるでしょう。ここにいたる全てのご縁に、合掌。
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by soukou-suzuki | 2006-03-28 00:51 | Hikari NOW!