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将棋の世界を垣間見る

10月22日(土)東陽町のホテルイースト21で行われた、将棋の国際フォーラムへ出かけた。
※詳細は↓
国際フォーラム
4年に一度の開催とのこと。各国から3人1チームで将棋の遠征にきている外国人の方も多く見受けられました。
ちなみに私はチェスは時々するものの、将棋には全く素人です。
どういうご縁かというと、会場内に抹茶とお菓子を振舞うコーナーが設けられ、その手伝い要員という訳です。
お抹茶がよほど気に入ったのか、何度も呈茶席に立ち寄ってくれた、小学校1年生の日奈ちゃんと仲良くなりました。呈茶コーナーのとなりには「親睦 自由対局コーナー」があり、会場で知り合った将棋好き同士が対局したり、島朗八段が小学生と対局する光景を楽しく見せていただきました。

将棋といえば、茶友の冬野氏が煮方を努める新宿の御店では、名人戦が行われるので有名でしたっけ。世紀の対決を見ていて意味がわかるくらいにはなりたいものです。
手繰れば私にも将棋の縁はあるのかしら?

この日、久しぶりに(亡くなった)大叔母が昔、母に誂えた小紋に袖を通しました。
白地に黒の、大柄の牡丹唐草で、メイクがきついとちょっと迫力出すぎてしまうのですが、朱色の帯とで大人しく着ました。
「ちたわの着物は軽くて着心地が良い」といつも聞かせれていましたが、久しぶりに袖を通してそれを実感しました。一緒にそろえた緋色の襦袢もお気に入りです。近頃は着物でも立ち働くことが多く、そのため正絹の襦袢を着ることの方が珍しくなってきたので、脚捌きの気持ちよさにうっとりしました。

朝、いつものように出掛けに用賀神社に立ち寄りました。
銀座で料亭の女将をしていた大叔母の着物を着たせいか、柏手を打つ手に気合が入り、境内に気持ちよく響き渡って自分ではっとしました。
振り返ると、若い男性が神前の空くのを静かに待っていました。軽く会釈して、なぜか秋を感じました。木漏れ日がきらきらして、梢を抜ける風の音が清らかでした。

この日は夫婦ともに臨時収入に恵まれました。
賢ちゃんはこの日、あるお店のNO1になったそうです。(営業成績ではありません)
33個の箱と引き換えに、お店が沢山のプラスチックケースをくれました。
非常に機嫌がよく、翌日は母を誘って3人で高島屋の東館にある「九つ井」の「平安」というお部屋で、囲炉裏を囲んでしゃぶしゃぶといたしました。これも「銀座の叔母ちゃん」のご利益でしょうか・・・。


↓島八段と日奈ちゃん            ↓朝の用賀神社

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by soukou-suzuki | 2005-10-24 14:29 | Hikari NOW!

映画 『半落ち』

DVDで『半落ち』をみました。
役者の名前が覚えられないわたしでもよく知る俳優が多く、豪華キャストに最後まで誰が主役なのか迷ったほど・・・。寺尾顕は台詞が少なく、一番長いショットは被告人席に立つ後姿。
呼吸によるスーツの皺の影が僅かに動くことで心情を表していました。
刑事役の柴田恭平も、腫れぼったい瞼でじぃっと見つめる顔ばかり・・・、『走るシーンがないはじめての映画』と出演者インタビューで本人が語っていたとおりでした。脇役でちょこっと出てくる西田俊之や高島礼子が物語に厚みをましていました。

現実の世界でも、人間はそれぞれに皆主人公だから、特定の誰かを軸に回ってしまわないこの映画にリアリティが溢れていました。
原作者のは、横山秀夫氏はもと新聞記者。
到底答えのでない問題に、渦中の人物一人一人が自分なりの結論を出すまでの葛藤と過程を丁寧に綴っている。登場人物の本心は語らせても、これが正解だと著者が結論を出したりもしない。
私たちは仕方なくでも日々結論を出して生きている。だからと言って、自分で出した結論が正しい答えだと思っていない。それでも生きることは選択し続けること。
選択に窮したとき、死を選ぶ人も多い。

記憶や自分らしさをなくすことは、魂を亡くすことだと被告が語る。最愛の息子を病気で亡くした妻は悲泣の挙げ句、アルツハイマー病で息子の死を忘れてしまう。
息子の姿を追い求め、やがて死の事実に気づき、結果的に何度も息子の死を新たに味わい直すことになる。そんな妻の『せめて息子を覚えているうちに殺して』と言う懇願に、愛情ゆえ嘱託殺人を犯した警部。
当然、自分も死を決めての行動だったはず・・・しかし被告は生きることを選んだ。
自供はしても、なぜ生きることを選んだかを決して言わない、この半分しか供述していない状態を警察用語で『半落ち』と呼ぶんだそうです。

それを法廷で裁くのは、アルツハイマーの実父を介護する若き裁判官。
人類がまだ答えをもたない問題にでも、間違えを許されないのが裁判官だ。
クライマックスで裁判官が被告に叫ぶ、
『魂がなければ、人は生きているとは言えないのか?そんなことは、あなたにも、私にも裁けない!』

北の国からのじゅん君が・・・裁判官役ですか。
自分より十歳以上若い役者が裁判官の役を演じていることにショックを受けました。
私より生まれて間がない男の子が、私より十以上年配の人間を裁く・・・。
当たり前なのかも知れないけど、自分がとっくに分別のつくべき大人だと言われたようでどきっとした。
(迷えるじゅん君を困らせてはいけないなぁと思ったのかも知れないけれど。)
そこは原作と違い、映画化する上でのテクニックで、『彼こそは迷い多き人物!』と言うキャラクターを敢えて持ってきたのかしら。
おかげで、人より軽がる「度を超すタイプ」の私にも、『自分より若い世代をあのように悩ませてはいけないよなぁ』 と言う新たな道徳心が芽生えました。

名脇役の樹木希林は殺された妻の姉の役。
私は妹を押し付けてしまった。殺してあげることもできなかった。と悔恨するシーンが目に残りました。
by soukou-suzuki | 2005-10-21 00:10 | Hikari NOW!

明治神宮献茶式

10月18日(火)明治神宮にて、秋の大祭にあわせて裏千家家元である坐忘斎宗室宗匠による、明治天皇および昭憲皇太后へのお献茶がありました。
縁あって、当日は本殿前の回廊を呈茶席に設えて、献茶式へ参加の方と、一般の参詣者への呈茶を手伝うことになり、お家元のご好意から献茶式にも参列させていただきました。

天気はあいにくの雨・・・。神宮の森全体が黒々と濡れ、本殿や柱はうっすらと白く、霧雨の向こうにけぶっている。首筋と足元に、今秋初めての「寒さ」を感じた。
参列者の入場が終わり、冷たい静寂の中、雨音だけが不規則に敷石を打ち、銅葺きの勅旨門はエメラルド色に輝いて、軒先から光る水滴を落としている。カラスも鳴き止んだ。

やがて本殿の大太鼓の音が、左から右へ体を突き抜けていった。びりびりと振るえる空気と、揺す振られる内臓が会話しているようで、この太鼓によって私はその場と一体化したように思う。
再び静まりかえった本殿に、十徳姿のお家元が現れ、太い柱の向こう側で「お茶湯の儀」を粛々と執り行っていく。
何百人もいるはずの空間なのに、そこにはお家元と明治天皇だけが、ひっそり対話しているような心地よい緊張感と安らぎがありました。不規則な雨音が会話のリズムに聴こえたからか。

再び大太鼓に覚醒し、瞬く間に現世に戻ってきた気がしました。
私は何処へ行っていたのでしょう?

その後回廊席は賑わい、懐かしい方にも会え、外国人のツーリストとの楽しい会話もありました。約500名の方へお抹茶を差し上げたようです。

七五三、初詣、茶会、薪能、散歩・・・いろんな顔の明治神宮を見てきたけれど、また一つ新しい表情を見せていただきました。

追伸:汗をかいた後に風に吹かれたせいで、翌日は熱を出しました。
秋に着物で外出したら、首筋に当たる夜風には要注意ですね。
お陰さまで、かねてより楽しみにしていた、「平日の昼間の自宅を独り占め」が叶いました。

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by soukou-suzuki | 2005-10-21 00:08 | Hikari NOW!

Today is a verry good day...

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↑は秋のメルシャン美術館

家族との軽井沢行きがキャンセルになりゆとりができた週末。
緊張が解けて心にスペースが出来た分、いろんな感情が入り込んできた。

予報では雨なのに、目覚めると爽やかで眩しい太陽が出ていた。
私の大好きな季語である『色なき風』が欅の梢を吹き抜けていた。
用賀から鷺沼までの小さなエリアをくるくるまわり、日常的な細かな用事を済
ませただけの日なのに、なぜか南イタリアにいるような眩しい一日だった。
お店を訪ねて町でお巡りさんと会話し、人と人とを新たに引き合わせ、稽古
場では真剣に自分と向き合い、無沙汰していた人と逢い、喜びごとを聞いて
感動し、時間が過ぎていくことに寂寥を覚え、新しい自分に出会うための買
い物をして、晩は夫婦でゆっくり食事をした。
出会い、発見、感動、ショッピング、グルメ・・・、そういえばこれがイタリア
旅行でなくてなんでしょう?
夜は一変、冷たい雨が降ったけど、ちょうど大きなガラス越しに多摩川の夜景
を眺めながら、土瓶蒸しが体に染み渡るのを感じていた。暖炉の前にいる時
のように、背中の寒さがかえってご馳走だった。そんな安らかな喜びを感じた
ら、ふっとネイティブ・アメリカンの詩を思い出した。
Today is a very good day to die.日本的には忌み言葉で嫌われそうだけど、
私はこの詩が好き。幸せを感じることは移ろいをも認めるということ。生きる
喜びに満たされることは、死をも身近に感じること。全てを受け入れる気持ち
こそが、一番の安らぎなんだと教えてくれる。

Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day die.

今日は死ぬのにとてもよい日だ。
あらゆる生あるものが私と共に仲良くしている。
あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。
すべての美しいものがやってきて私の目の中で憩っている。
すべての悪い考えは私から出て行ってしまった。
今日は死ぬのにとてもよい日だ。
私の土地は平穏で私をとり巻いている。
私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。
わが家は笑い声で満ちている。
子供たちが帰ってきた。
うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ。

(詩・訳)このサイトから
by soukou-suzuki | 2005-10-17 12:51 | Hikari NOW!

青春ドラマ?

雑居祭り

世田谷区の羽根木公園で年に一度行われる「雑居祭り」。
梅林とその奥の茶室、星辰亭にて毎年100円のお茶会と茶道体験コーナー
を出店しています。
今年はあいにくの雨・・・結局、梅林は諦め、茶室において2席設けました。

青年部としての手伝い部隊なので、力仕事と外案内が主です。
準備したお菓子は900個、茶室は奥まって表から見えません。
人通りも少ない公園の四辻で、通りかかる方全員と言葉を交わし、ご案内
します。
『あっらぁ、雨の中をお着物で・・・大変ね~』
『今年もやっているの?絶対中止だと思った!』
『梅林は中止なの?じゃあ、初めてだけどお茶室に入ってみようかしら・・・』
『雨で風情があって贅沢な気持ちになれたし、美味しかったわ』
・・・
恒例行事に、いつもとちょっと違う要素が織り込まれるって、初めての行事
よりかえって新鮮です。言葉をかけるから言葉が返ってくる。嬉しい構図。

借り出したパイプ椅子や机を返却するため、雨でぬかるんだ中、台車を押
します。草履(ぞうり)や雪駄(せった)を履いて、酷いところでは5センチも
泥の中に埋りながら台車を押す着物集団・・・。
このドラマ仕立ての光景に、他の出店者からの注目が集まりました。

雑居の後の、仲間と一緒に一息つく時のコーヒーの美味しさは格別です。
そして泥と汗と緊張を、さっぱり洗い流してくれる家のお風呂が、何よりの
ご馳走なのです。
また一つ行事を終えたという満足感とともに、深い深い眠りにつきます。
by soukou-suzuki | 2005-10-14 01:39 | Hikari NOW!

古希旅行

母、靖子さんが先月、古希を迎えました♪
”古来稀な人”くらい、お年をたくさん集められたようです。
おめでたい、おめでたい。よ、収集家!

せっかちだった短距離選手の父に比べ、持久戦が得意の母はこの先も長々
と長生きして、茶筅を振るい、俳句を作り、草をむしり、飛び回るのでしょう。
季節を愛でて、人をもてなすことをライフワークに選んでしまっているので、
一年中いつも忙しく、生涯「楽隠居」は望めそうもありません(^^;
したがって、意外と実子3人と語り合う機会がないのです。

そこで3人兄弟(姉・私・弟)は考えました。
節目で旅行に行ってみよう。それもちょっと冒険や発見がありそうな方がいい。
4人に共通するのは「松浦」ということ・・・。それならルーツを辿って松浦半島
をツーリングするのはどうかしら?

4人の予定が合うことは奇跡的かとも思いましたが、各人のプライオリティが
高かったお陰で、年末の天皇誕生日連休を利用して2泊3日の旅行が決まり
ました。

旅のお供、犬・猿・雉は決まりましたが、やはりキビ団子(または餞別♪)を
持たせてくれるお婆さん役も必要です。
この旅も、3兄弟のそれぞれの「家族」によるバックアップ無しには実現しません。
保養所の申請や、情報収集、なにより留守中の家や子供達のことなど・・・。
しかしまた、これほど素直にお願いと御礼を口に出せる行事は他にありません
(^^)そう、親孝行に勝る大義名分はないということです。
    ということは?旅立ち前に公表するのは珍しいアタクシなのです・・・。

※西海国立公園
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by soukou-suzuki | 2005-10-14 00:57 | 計画中

私の頭の中の消しゴム

友人に試写会に誘われた。タイトルは『私の頭の中の消しゴム』。この秋ロードショウの韓国映画で、日本テレビ系で2001年に放送された12話もののTVドラマ『君が僕を忘れても』のリメイクだそうだ。
ドラマの主演は永作博美と緒形直人だった。私はドラマは見ていなかったので、このストーリーに免疫がないまま、千代田区公会堂の傾斜の足りない見にくい座席で二時間、背中を伸ばし過ぎて首がつる中、べしゃべしゃに泣かされた。人はどんな体勢でも涙が出るらしい。
先日の『きみに読む物語』といい、アルツハイマーに記憶を奪われ、生きた証だった純愛の思い出が共有できない切なさを描いたドラマが多い昨今である。
一番覚えていたいことはなんだろうと自分に問わずにいられない。そして自分が一番覚えていて欲しい人の顔が自然に浮かぶ。
こういった映画が多く興行されるのは、アルツハイマーが増えるにしたがい人々の心に免疫を付けるための地道な社会運動なのか。
ともかくまんまと泣いた。ぐしゃぐしゃの顔のまま語り合った友人とは、いつもより深いところでの人生観が語り合えた。
チョウ・ウソンとソン・イェジンの好演もさることながら、気のきいた台詞が随所に見られる脚本に感激。月並ナなシーンながら、ウェディングドレスを試着するヒロインの、作りこみ過ぎない清楚な表情は美しかった。頬の産毛や後れ毛まで丁寧にライティングされた映像美が記憶に残る。
恋に落ちていく過程でたびたび流れるラテン音楽が、見るものをも心地よく恋に落としてくれる。

五木寛之氏の講演では、美しさの向こうに微かに見える悲しさを語ったが、この映画では逆コントラストで悲運の向こう側に、確実に在った幸福を描いているように思う。あらがいがたい運命の渦中で、津波にさらわれて往く幸福を惜しみながら、その幸福な出会いもをもたらしてくれたのも運命だと受け入れている。アジア的だと思った。
産みの親を許せなかった夫の気持ちを、体当たりで溶かしていく妻の姿には菩薩を感じる。
自分の夢を差し出して親を助ける場面は儒教的で、今の日本では『出来すぎた話』に見えてしまうが、そこへ到る結婚した男女の心理を、素敵な台詞がよぉく補っていて爽快だった。
惜しみなく泣いて心の有酸素運動を望むなら、暗さを求めてさあシネコンへ。
10月下旬から全国ロードショウ。
by soukou-suzuki | 2005-10-07 08:57

『今、日本が失いつつあるもの』

9月19日、茶道の縁で五木寛之氏による講演会を霞ケ関のイイノホールで拝聴
した。
氏は、ご自身の講演会の聴後感が暗いことを気に病むエピソードを面白く語り、
「しかし、暗い気持ちになることは本当に悪いことだろうか?」と問いかけた。

戦後、もしくは太平洋戦争の前からか、常に前向きで明るいことこそが美徳とさ
れ、悲しんだり泣いたり悔やんだりすることは女々しく(語弊があるが)くだらな
い、無意味のないこととされてきたきらいがある。本当に無意味なのだろうかと。

一方、日本古来大和の文化では、美しさの向こうには常に、ひと刷毛の微かな
悲しさを感じとることが美徳とされてきた。
それは光によって影が生まれることのように、ものごとの神髄に触れようとする
とき、一方面から見るだけでは不足だと教えている。
なるほど古典にはよく登場する『もののあはれ』という言葉。これにあたる現代
用語が見当たらないのは確かに物足りない気分にさせられる。
なにも古典にのみ通用する感覚ではい。中学校の教科書でこの言葉と出逢った
ときに、なんとなくでも理解できる感性を人は持っている。
美しさの中に哀れみをも感じて泣くことや、幸せの中に無常を感じて非泣するこ
とが、非生産的な愚かな行為とされるのは忌々しき問題かも知れない。

子供のお稽古ごとから老人福祉にいたる生活の全てに於いて、現代社会では
「生産性」を無視できない。
私自身が初等、中等教育でたたき込まれた美徳は、明らかに『頑張る』ことだっ
たように思う。『頑張る』とは便利な言葉で、強制や継続や矛盾の排除や効率や
合理化といった、結果に直結する全ての要素を包含している。
そうして子供の頃から前ばかり見て頑張っているうちに、日本人全体が泣かなく
なったそうだ。
教育者はみな『結果より過程』と口を揃えるけれども、その大事な『過程』が、『頑
張る』ことでよいのだろうかと疑問が湧くまで私はとても時間がかかった一人だ。
器用な人はそれなりに、不器用な人は悠久の苦しみを感じながら、理由も考え
ずに『頑張らされて』きたはずだ。
親友に、試験勉強を『頑張る』ことに努力しすぎ、いつも試験当日に熱を出して休
む子がいた。その子に、『次は頑張りなさい』と言葉をかける矛盾はなんだろう。

話を講演会に戻す。
兼六園の「雪つり」はその幾何学模様の造形美から冬の風物詩とされているが、
あれは太くて強い枝にしかしないという。細くてしなる枝には、湿気を含んだ雪が
降り積もっても、屈伸するだけして、ある日「ぽん」と雪を払って起き上がる。
太くて頑丈な枝ほど、「しなる」ことを知らない。そして、ある晩、ある時に限界を
迎えてぼきりと折れてしまうのだ。「雪つり」は強いことが命取りになっている木を
守るために行うという。
氏は、太くて強い松の枝に内在する「脆さ」を現代の日本人に重ねて言う。
「長寿大国日本は自殺大国でもある」と・・・。

日本人も、泣いたり落ち込んだり脱力したり呆けたり、屈み込むような「前屈運
動」をしないで過ごすうちに、だいぶ体が硬くなってしまったということでしょう。

日ごろから「嬉しい!」「綺麗~っ!」と同じくらい、「げっ!」「よよよ・・・」「しゅん」
を繰り返して心がヨガ体操を繰り返していれば、湿気を含んだ重たい雪が、体を
曲げる度にこまめに落ちてくれるしょう。
小説や韓流ドラマはヨガ運動に値するかも知れません。

それでも一日でドカ雪が降ってしまったら?枝を全て折られてしまったら?
そうしたら惨めに地べたに横たわって泣き喚きましょう。誰かに助けを求め続け、
終には根が枯れるまで生きられるだけ生きましょう。
瀕死の時に、自ら根まで絶やすことを『頑張る』必要はないですよね。
韓国では、我が子が大人になる頃に母親が諭すそうです。
「人は誰しも心に生まれつき「ハン」というものを持っている。それは誰にでもある。
大人になると、いつか必ず「ハン」が表に出てきて、急に何もかもが虚しく思え、
自分の目的や存在さえ無駄なものに思えるときがあるものだ。
仕方がない、それは「ハン」が出てきただけだ。
「ハン」から逃れようとせずに、屈み込んで『はぁーっ』と大きなため息をつきなさい。
ホンの少しだけ楽になるから。そして立ち上がって楽になった分だけ歩きなさい」
と。
母親って「祈り」の生き物なのね。
by soukou-suzuki | 2005-10-07 00:14 | Hikari NOW!

朝が好き。

昨夜、帰宅後に着替えの途中で戯れにソファに横たわったら、そのまま朝まで
爆睡してしまいました。万歳して寝られるソファになったお陰で、以前のように
首が痛くなったりせずに快適。
バーティカルブラインドを通して朝陽が部屋にじんわりと広がり、まるで部屋その
ものが発光しているような不思議さがあり、生まれ変わってしまったような気分。

早朝四時半。鳥だけがやたらめったら騒がしい。
お化粧落としたり着替えたりして再びベッドに戻りましたが、すっかり睡眠に
満腹で、ぱっちり目が冴えてしまいました。

お家元ならもう起きて利休像に一服のお茶をお供えする頃・・・私も亡き父に
向け抹茶でも点てようか・・・とも考えましたが、やはり自分のご機嫌を取ること
にしてのんびりお風呂に入ることにしました。小人!
バスエッセンスは「森林の香」、CDはヨーヨー・マ・ベスト。
森林の真中で、自分だけのためのチェロ演奏♪

さて森林の旅から戻ってもまだ五時半。コーヒーいれてテラスで空想タイム。
用賀神社の囀りが建物にこだまして余計に響きます。
んーー、快適!オリエンタル・ホテルの川風の中か、ラッフルズ・ホテルの
椰子の葉陰に居る心地・・・早くテラスにアレカ椰子を置きたいな~なんて、超
ご機嫌な朝でした。

きっと私、朝が嫌いじゃないんですね。そう、めっぽう弱いだけで・・・。
by soukou-suzuki | 2005-10-06 01:40 | Hikari NOW!

きみに読む物語

最近のDVDから素直に泣けたものをご紹介します。
『きみに読む物語』
ニック・カサヴェテス監督。ライアン・ゴズリング、レイチェル・マクアダムス、ジーナ・ローランズ、ジェームズ・ガーナー、サム・シェパード。
原作はアメリカのベストセラー、ニコラス・スパークスの小説「THE NOTEBOOK」です。

老いと言う現実と、時間の経過を超越する愛情の力を描いたヒューマン・ラブ・ストーリー。
生きた、愛した、泣いた・・・『情熱と恋の記憶は人生の糧になるのだろうか』と言う、全ての恋人達の疑問に、潔く応える作者の信念が心地よいストーリー。
めくるめく情熱的な日々の思い出は、後悔も死への恐怖も老いること不安さえも届かない、永遠の心の安全地帯に人を導いてくれるのだろうか。
真実の愛に奇跡は本当に起こるのか?
見ている間中、結末が知りたくなる展開は、筆者にありがとうと言いたくなりました。
夫婦、恋人同士で、またはこれから恋がしたい方にもお薦めです。

書いたことに、そして読むことに価値のある物語です。
by soukou-suzuki | 2005-10-03 23:42