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9月大歌舞伎&吉兆

9月大歌舞伎は昼の部へ参りました。
チケットを譲ってくださったふじえさん、記憶に残る日を感謝していま
す。好きな舞台や映画、ライブにしても、誘ってくれた方と一緒に記
憶の襞に丁寧に畳み込まれて残るものです。演目は以下。
・正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)
・菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)「賀の祝」
・豊後道成寺(ぶんごどうじょうじ)
・東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)

なかでも菅原伝授・・・の「賀の祝」がとても印象深く胸に残りました。
自分の古希の祝いの席が、やがて修羅場へと発展していく過程で、
白太夫(段四郎)の見せる強気と弱気は、そのまま正義と愛に重なり
ます。人は自らの中に、光と影のように強さと弱さを共存させて生きて
いる。影が濃いのは、その分光が強く照らしているせいなのですね。
私はこの典型的な親子愛・夫婦愛の筋書きに、いつに無く完全ノック
アウトされたようです。
桜丸の切腹シーンでは、目から鼻から涙がぐしゃぐしゃと・・・。

切腹を承服しかねて夫に取りすがる八重(福助)の健気さに、桜丸(時
蔵)が無言のままそれを押しとどめ、静かな、強い、そして慈愛に満ちた
目線で八重を見つめ返す。互いに首を左右に振るだけの、その静寂の
数秒間に胸きゅんなのでした。

私は歌舞伎座を出て、そのままチケット売り場へ行き、翌日の同じ演目
を2枚買い求め、その場で夫君に電話をして翌日の約束を取り付けまし
た。そして翌日、私が歌舞伎座の吉兆で、「長月のおしながき」を手に
喜んだことは言うまでもありません♪松茸ご飯・・・美味しかった(T_T)
3階B席の券を奢って、昼を吉兆で奢ってもらう!うしし、「海老鯛」作戦成功。

東海道中膝栗毛では、当代の社会を投影した演出に抱腹絶倒!
尾張名古屋では愛・地球博のマンモスの牙が登場し、占い師に、細木
明珍(歌江)という細木和子氏そっくりさんが登場。風格から声音まで
似ていて、歌舞伎役者の力量に感服いたしました。
愛・地球博の方が一日早く千秋楽を迎えたようで、TVでしか見れなかっ
た万博でしたが、少~し身近に感じて幕となりました。

↓連休中の砧公園風景集から。
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by soukou-suzuki | 2005-09-30 00:50 | 私のお気に入り

フェーズ10

仕事のお付き合いで飲みました。
今まで機会がなかったのが不思議なくらい。そういう相手って意外と多い。

取引先に限らず、趣味の延長にある組織でも、かたよったメンバーで懇親会を
繰り返し、何年も一緒にいて一度も飲んだことがないメンバーもいる。
飲み会のステップを踏まなくても意気投合してしまうこともあるにはあるけど、
やはりフェーズ10(10段階目の仕上げ)と呼ばれる「飲み会」は必要だと思う。

何か一つのことが始まったとき、お互いが「事業の目的」だけを目指して、合理
的な「winwinな結論が出ればそれでいい」と思った時期もあった。
でもそれだけだと、想定外の困難にぶつかって、こっぱ微塵になってしまうこと
もある。
局面は常に変わり、いつのまにかスタート当初とは様々な条件が変わって、
気がついたら「諦めること」が両者にとって最善の道になってしまうことだって
ある。途中で止められないことをする時は、このフェーズ10を経ているかどうか
で結果が変わることがある。

事業に参画する人たちの目的は、事業そのものの目的とは別のところにある。
それが自然だとも思う。
だけど困るのは、計画を通じて無理やり自分の思いを遂げたり、酷い場合は
自己実現の舞台として、計画そのものを消費してしまう人もいるということ・・・。

計画は過去の絵に書いた餅だし、人間は生身で自分の「考え」だけでなく
「思い」に満ち満ちて現実を生きている。
さらに状況が変われば、ドキュメントの解釈の仕方もまちまちになるのも仕方
がない。演劇評も史実も、時代が変われば解釈は変わっていく。
それでも関わる人々のゴールが同じベクトルでないと「推進力」にならない。
最も相応しい一致した目的とは、プロジェクトを「終わらせること」なのではない
かと思う。「なし終えること」、それを目的にすることで、合意し妥協し助け合う
ことができる。
最初は立場や利益で対立することがあっても、「終わらせること」が共通の目
的になれば、対極にあった利害関係も次第に一致することになる。

困難な局面では、業務上与えられたポストや職種だけでは回らないことも
ある。
偶然か必然か、とにかくその場にいる全員の「個」の持つ多面性を総動員し
て、ゴールまでの道筋に生まれる”隙間”や”穴”を埋めながら、お神輿を神殿
に届けることが必要になる。
そんなとき、業務上は知る必要がないように見える”個性”に触れておくことが、
身を助くことにつながったりする。

やっと実現した飲み会は盛況だった。
「人となり」はすでに知っていたつもりでも、出身地や家族構成、前職や趣味の
詳しい話など聞くと、その人が急に立体的に、天然色で見えてくる。
「明歴々露堂々」のナイスガイは、自らの社内恋愛について語りだした。
会社きっても美人お嬢をゲットした彼は、傍からみてもとっても嬉しそうだし、
それが今の自信につながっていることも表情で分かる。きらきらしていた。
私にも語って聞かせる職場の恋が欲しいが、そんなお宝がないので、仕方な
く、趣味や旅の話をする。それなりに陰影はあるけど、色艶に欠ける話・・・。
まぁ、それでも十分に相手にとっては「意外」らしい。

意外って・・・・?
他人を見て、何を基準に「こういう人」と判断するのだろう。
自分を含め、その単純さ、安易さがおかしくなる時がある。てんで的外れなこと
が多い。飲み会を経ると、キャラクターに想像と違った色や影がつく。
そうなると、また勝手な判断力が質量や手触りなども想像させる。
きっとそれも既知の分類学に従っているだけなんだろう。

情報が多いと、一人の人の名前から多くの連想をつなげられるようになって
いく。沢山の連想の枝葉を持ったキャラクターこそ、確実な自分の財産なの
だと思っている。
自分の翼を生やすのは至難の技だけど、もともと飛べる人に引っつかんで
もらって、一緒に水溜りを飛び越えることならできるかも知れないから。
飲酒を勧めている訳じゃないけど、飲むことは正当化している私です。

              ★秋風に揺れる芭蕉の生家の芭蕉の葉★
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by soukou-suzuki | 2005-09-21 00:07 | Hikari NOW!

柔道は好きだけど・・

世界柔道を放送している。うちの旦那さんは痛いことや野蛮なことが
嫌いな割りにはマメにチェックしている。
サッカーや大好きな野球よりより盛り上がっているように見える事も
ある。
女子の「いいトコ」になると、わざわざ呼んでくれる。だが私は、半ば
有り難迷惑を感じ、あまり見る気がしない。
柔道が嫌いな訳でも、興味が無い訳でもない。
私は柔道は好きだし見れば燃えもする。
女子柔道の人口が少なかった頃から志していたし、隅っこから世界
を目指していた高校時代や、黒帯にも誇りは感じている。私の好き
な日本で生まれた精神文化の一つであることもひかれる理由の一
つだと思う。
でも、痛いのだ。見ていてると、柔道で傷めた膝が反応してしまうのだ。
膝が裏返る感触、外れた膝にのしかかる相手の体重、電流のように
る痛み、畳を叩きつけても目をつぶっても逃れられない苦痛・・・。
中継を見ていると必ず脚が緊張し、体中に無意味な力を込めてしまう。
テレビを消した後も、ベッドに入って目をつぶっても、いつのまにか目の
前に汗をかいた首筋が見えてくる。相手の拳が鎖骨に食い込み、私は
小さな苛立ちを覚える。平織りのカバーリングを掴んでいる筈なのに、
自分の手のひらに柔道着の摩擦と厚みを感じる。
「来たっ!駄目だ、考えちゃ駄目だ!」
必死でこの妄想を打ち消そうとして、何か違う事を考えようとする。
だが体は、何かの間合いをはかりながら上体を左へと捩っていく・・・。
僅かに右足が動き、そして次の瞬間には全身に走り抜ける電流を無
意識に待っている。
もちろん足に痛みは感じないのだが、脳に走る電流だけはリアルに
再現される。
こうして柔道の中継を見た後は、暫らく寝床でのたうち回ることになる。
「自分から行けっ」
「足を使えっ、足で崩せ」
「待つな、思い切り行け!」
誰かの声がこだまする。頭の中で巨大な秒針が回る。
自分の右足が空を切り、支える左足に反動が伝わる。
襟を激しく揺すぶられ、一瞬視界がブレて見える。
いつか忘れると思っていた感触なのに、中継を見ることが稀になった
最近の方が以前よりひどくリアルに甦る気がする。
ひどい時は二三日続く。仕事をしてても、電車に乗っていても、始まっ
たら自分では止められない。こういうのをフラッシュバックと言うのでは
ないだろうか。
傍から見ていても、痛くも無いのに突如体を捩って顔をしかめる姿は
危な気に見える筈だ。こんなことを繰り返すのは、体に悪いのではな
いかと心配になる。
機会があれば、一度カウンセリングでも受けて見ようかと思う程だ。
柔道は嫌いじゃ無いけれど、休日に大好きなソファに寛ぎなから中継
を見ることは、美味しい抹茶に唐辛子をどばどば入れて頂くようで、癒し
と刺激のひどいミスマッチを感じてしまう。やや自律神経が参っていまう
私なのです。
柔道を見るならいっそライブにしたい。
怪我に苦しんだ記録シーンや、技の瞬間のスローモーションが無いとこ
ろがいい。
ライブなら闘志が直接伝わってくるから、私も怪我への恐怖に打ち勝っ
て応援できるかも知れない。
by soukou-suzuki | 2005-09-12 02:29 | Hikari NOW!

詩を贈られる喜び

先日、あるコンファレンスでの出会いのお礼にと、詩を同封した手紙が届いた。
私には、誰かに”詩を贈る”と言う習慣がなかったのでちょっと打たれた。
みちのくから届いたその詩は、星野富弘氏の『花の詩画集』からの一篇だった。

 よろこびが集まったよりも
 悲しみが集まった方が
 しあわせに近いような気がする

 強いものが集まったよりも 
 弱いものが集まった方が
 真実に近いような気がする

 しあわせが集まったよりも
 ふしあわせが集まった方が
 愛に近いような気がする

最初はちょっと感傷的かな?と思ったり、私ならこの配列はしないかな・・・なん
て思ったりしたけれど、何度も読み返しているうちにこの順番がこそが良いのだ
と分かってきた。

手紙の最後には、「御身おいといあそばされますよう念じております。」
と結んであった。
遠くからさりげなく人を想う気持ち、この出逢いに感謝してやまない自分の気持
ちを、こんな風に素敵に表現できる女性が日本にいるのだな、と感激しました。

そういえば、南米を周遊中に、ある男の人が私を詠った詩を書いてプレゼントし
てくれたっけ。名前の「ひかり」から連想した綺麗な一説だった。
スペイン語だから思い出せないけど、ノートをひっくり返せば出てくるはず。
この世に自分を詠った詩が存在するっていうのも嬉しいことですね。
今度、探し出して紹介いたします。
by soukou-suzuki | 2005-09-12 01:15 | Hikari NOW!

ご褒美

職場から見えたある日の夕焼けです。
時々こんな風景に出会うと、ご褒美を貰った気分になります。
西向きの大きな窓から、皇居に沈む夕日眺める。
薄いピンクや紫から、黄金へ、そして溶岩のような痛々しいほどの赤へ・・・
刻一刻と色を変えていく空はイリュージョンのようです。
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by soukou-suzuki | 2005-09-12 01:12 | Hikari NOW!

革小物をオーダーする楽しみ

引越ししてから白い小物が気になる。
床が白いタイルで、カーテン、ソファ、テーブルも白いので、小物に色があると
目だってしまう。
前の家では黒いものなら目立たなかったのが、こちらで黒は最悪に目立つ。
インテリア・ショップでも小物屋さんでも、白いものを見るとつい手が伸びてしまう。

昨日、白い革のティシュ・ケースを手に入れた。
一ヶ月ほど前にオーダーしておいたものができあがってきたのだ。
イージー・オーダーが可能なお店で、好きな色と好きな素材を選べる。
ほんの少しだけグレイがかった白の革に、裏地は赤い布地を選んだ。
(裏が派手なのは江戸の粋!)
端っこに、Suzukiと名前を焼き入れてもらった。(10,000円)
これでソファの上に転がっていても邪険に避けなくてもしっくりくる。

このお店、ウォーターボーイズに出てきそうな可愛いお兄さんが親切に応対して
くれ、一緒にモノ作りを楽しんでくれる。工房とショップが一体のキッチュな店だ。
ワインケースや鞄(本業は鞄屋さんだとか)もお気に入りのモノが目白押しで、
つい誰かに贈り物をしたくなる、プロダクツがそんな息吹を持っているお店。

用賀駅徒歩5分、あ房さんのHPはこちら。
あ房a-vou

新しい仲間↓
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by soukou-suzuki | 2005-09-12 01:06 | 私のお気に入り

新しい世界への入り口

新居への引越し祝いに、気前のいい姉夫婦が絵を贈ってくれた。
笠井正博さんのシルクスクリーンで、『新しい世界への入り口』
というタイトルがついている。(560×568)
額縁はシンプルな白で、我が家にぴったりでいたく気にいった。
淡い青から白までの配色で、海の底から太陽を見上げたイメージだそうだ。
放射状に広がる大小の水玉をじっと見ていると、光が時計回りに回っている
ような錯覚を覚える。
本当に、ここから何処かへ通じているような気持ちにさせてくれる。

寝室のベッドの正面に飾ることに決めた。新しい世界へ入っていくに相応し
い場所だ。リビングでテレビと張り合うより、この絵には落ち着いて自己主張
させてあげたい。後日、業者に頼んで壁に釘を打ってもらうことにする。

姉が絵を贈ってきたことは少し意外だった。
今まで絵を買ったことがないと思ったから。
予算オーバーを押して買ってくれたらしいから、姉もこの絵に惚れ込んで
いるようだ。早く掛けて、飾っているところを見に来て欲しい。
じっくり見るには、ヘブンリーベッドちゃんに寝転がるしか方法がないけれど。
by soukou-suzuki | 2005-09-12 00:42 | Hikari NOW!

新涼

今朝、家を出掛けにリビングを振り返ったら、いつもは当ったことのない辺り
に朝日が差し込んでいるのに気付いた。
照明もテレビも消した、出かけるばかりの部屋は、ちょっと取り澄ましてよそ
行きの表情を見せる。
白いバーティカルブラインドを抜けてタイルを照らす白い光が柔かい。白の
ソファが、三角形のシャープなグレイの影を作っている。
私の知らない我が家の素顔。まだこの部屋で秋を迎えたことがない。
そういえば白は、秋を表す色だ。
ふと、ここに居続けたくなる。
コーヒーメーカーが目に入る。フリーだった頃は、自分の一日を始めるため
の珈琲を選んでいる時間帯だ。
音楽と珈琲でなりたい自分になってから一日を始めた日々が懐かしい。

湿気の少ない晴れた日は、ハワイのコナ・コーヒーに潮騒のCDをかけ、自
然の風を楽しんだ。
照りつける眩しい日は、メキシカンとマリアッチ。
しとしと降る日はカフェオレに小さく音を絞ったボサノヴァで、雨の気配を楽
しんだ。

そんな干渉を振り払って部屋を後にする。鍵をかける。
「行ってらっしゃい」
セコムが人間味の無い声で送り出してくれる。
誰かが引っ越してくるのだろうか、エレベーターには養生がしてあって味気ない。
管理人さんはお休みの日だ。ブルーマンデー・・・幾つになっても治らない。

ガラス戸を出ると新涼だった。
坂の下から涼しい風が吹上げてくる。石垣の蔦が気持ち良さそうに揺れている。
神社の梢が「ざわわ」と久しぶりの音をさせている。気持ち良い。
今日のi-podはヨーヨー・マから始まった。

満員電車、寡黙な通勤人、工事中の表参道駅、霞ヶ関で降りる人たち・・・
いつもと同じ景色だけど、今朝は首筋あたりに何となく秋を感じている。

二重橋のB7番出口を上がると、街路樹の銀杏が芽に入った。
これからしばらくは、この子が黄金色に色づいていくのを楽しみにしよう。
今朝は課長がオフィスの窓を開け放っている。
先月までは疎ましかった通りの騒音も、今朝は澄んで聴こえる。

メールチェックを終えたら珈琲を買いにいこう。
by soukou-suzuki | 2005-09-12 00:09 | Hikari NOW!

茶花を求めて

9月の始め、軽井沢近くの御代田(みよた)という町で「茶花に親しむ勉強
会」を実施しました。
茶花を摘ませていただくかわりに、地元の方へ呈茶(お菓子とお抹茶の
サービス)を行いました。
ボードには沢山の掛け花入れを飾り、朝摘みの御代田の花を活けました。
短冊は、「雲悠々」(大徳寺)「挿し添えし桔梗の濃さよ山は霧」(中村汀女)
を飾りました。

道往く人々へも声をかけ、美術館帰りの方、コーラスサークルの小学生
たち、様々な人たちと、花を介して出逢い、花について語り合う機会を得
ました。

佐久の茶友も駆けつけてくれ、仙台にいる自然環境調査に従事する茶友
も呼びかけに応じて出張帰りに佐久へ足を伸ばしてくれ、東京から車で
駆けつけてくださったお花の先生もご一緒に散策した後、全員で生花も楽
しみました。
道野辺の草花と、真剣に面と向って語り合うのはほぼ初めてでした。
また軽井沢に滞在中の育児休暇中の茶友も親子3代で様子見にきてくれ
ました。
明治屋旅館のご夫婦も好意的で、お抹茶を喜んでくださいました。

各地から集まった茶友総勢23名の参加と、地元の100名あまりの方々・・
気がつけば、まるで花に集まる蝶のように自然に集っていました。

この企画を起した頃は、年間行事の配分の都合で日程が決まったので、
果たして9月に花があるかとっても不安でした。
下見の下見の下見を繰り返しても、季節は刻一刻と移ろいます。
花は2週間でがらりと変わると教えられました。

8月の盛りの頃とまではいきませんでしたが、当日は彩りも豊かに様々に
野の花に出会えました。心配した天気も、台風を横目睨みつけて、散策の
間だけは大人しくしていてもらいました。
帰りは1時間100ミリの集中豪雨で潅水しまくりの環七に泣きました(T_T)

<出会えたお花>
おみなえし(黄色)
おとこえし(白)
金水引(黄色)
水引(赤)
のこん菊(薄紺)
ふうろ草(桃色)
つりふね草(赤紫)
草藤(青紫)
・・・・他たくさん。

川風に揺れるえのころ草(ねこじゃらし)のかわいいこと。
赤ちゃんようの歯ブラシのように小さなものが群生して、ひよこのように
ひょこひょこうごめく様がなんとも愛しいのでした。
またまた身の回りがお宝尽くしになってしまった幸せ者です。

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by soukou-suzuki | 2005-09-07 00:20 | Hikari NOW!

親友までの距離

幼い頃は、一番身近に居ることが「親友」だった。
大人になるにつれて、自分と「親友」までの距離は開いていく気がする。
距離が大事な要素として必要になっていくのかも。

子供の頃は登下校のお喋り相手や、テストの答案を見せてくれる事が親友の役割だった。
それが「共感」しあう事が重要になり、四六時中側にいても、共感してくれなければ親友と思えなくなった。
それも過ぎて、周囲に知られたくない悩み事を聞いてもらう事や、客観的な視点から自分を評価してもらう事に、自分の中の「親友」が変わってきた。
名作と呼ばれる映画や小説に無くてはならない存在として登場する名脇役のような存在を求めているのかな。
実生活で、深みのある助演達に恵まれている事は、素敵な大人の一つの証だと思う。
今渦中にいる人が、別の場面では名脇役として美味しい台詞を言ったりもする。人間力が高ければ、悲劇でも喜劇でも主役でも脇役でも重要な存在になるってことかしら。
入り組んだ幾つもの山場で、その都度キーになる人物が交替する大河ドラマが、私達の住んでいる「日常」だと思う。しばらくどっぷりここを旅しようと思っているこの頃・・・。

そういえば昔は、恋人と親友の両方に手がかかったなぁ。
必死で付き合いを維持したり、定期的に更新手続きをしないと、恋も友情も自然消滅とみなされたり、みなしたりして大変だった。そのうちに付き合いが面倒くさくなって、ヨットで例えられるように、「手に入れたときと手放したときが一番嬉しい」なんてことさえあった。笑えるナンセンス。
大人になると、手段と目的を見過つことが減ってくる・・・。

無沙汰の末に友人に会った。
椿屋のカフェオレを挟んでお互いの時間を埋めていく丹念な作業が続く。互いに問診している感じだ。相手の話している間、話に集中するこも大事だけれど、その表情や身振りから、感情や体調、価値観も受け止めていく。「見抜く」とか「引き出す」とかじゃなく、相手が溢れさせたい分だけ、こぼれてくるのを静かに待つことが出来た時はお互いに心地よい。

相手を正しく理解しようとする会話は、一緒に一つの家具を組み立てている時のような感覚かしら。例えば、棚の足を天板の穴に正しく差し込もうとする間、もう一人はじっと動かずに天板を持って支えるのに似ている。穴の位置を気にしたり、じっと動かないだけではなく、相手の呼吸も読んでいる。相手がいらいらしている時って、なぜか不思議と分かるものね。
by soukou-suzuki | 2005-09-06 00:00 | よしなしごと