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お花畑

晴れて澄んだ土曜の朝、馬事公苑まで散歩した。一度右に曲がったら後は自然に気持ちよい方へ行けばいい。
ターフは若い緑色。視界を深緑で埋め尽くしたくて、スタンドに上がってサンドイッチを食べるが、時折吹き抜ける風は、混じり気の無い透明でまだ少し寒い。クリスマス・ローズに覆われた花壇をすぎると、夢に出てくるお花畑が現れる。原色の絵の具を塗り付けたように眩しいチューリップ、背景を丁寧に書き込んだ水彩画を思わせる桜草、その中に子鹿のようにほっそりと立つ桜の若木・・・。その枝で囀る小鳥。陽だまりを集めてパッチワークをこさえたよう。作為と無作為の景色が、優しい嘘をつかれているように私を幸せにしてくれる。
三途の川を渡る時、多くの人は花野を通ると言う。こんな花畑の中を実際に歩いたことの無い人でも、その花野をいけるのだろうか?
記憶に無いもの、見たこともないものを人は脳裏に描けるのかしら?例えばアラブの砂漠に住む人は、その瞬間にどんな場所を歩くのかしら?青々と木の茂るオアシスではなくて、やはりお花畑なのかしら?
どっちにしても、私はお花畑の心地よさをここでリアルに体験したので、きっとその時も素敵な花畑を歩けるんじゃないかと、ちょっと得した気分になりました。
by soukou-suzuki | 2005-04-25 23:08

観桜散歩

今年は桜の当たり年でしたね。忙しがって毎年花見を逃す人でも、今年に限っては日本人らしく桜を見上げ、芭蕉が言い得たように『様々のこと思い出す桜かな』と、自分の後ろに繋がるたくさんの春の記憶に想いを廻らせたことでしょう。
大勢でわいわい桜を肴に杯を酌み交わすのも楽しい花見ですが、どちらかと云えば私は、ひとりか二人での言葉の要らない花見が好きです。
青い水に白い絵の具を少しだけ溶いたような空色に、桜の木が方々に仄かな薄紅を散らす霞がかった景色に身を置いて、風や日差しの強弱に合わせてたゆたっている時間は、自然の摂理にもてなされる贅沢さを感じます。
今年はいつも以上に桜たちが気を揃えての咲きぶりでした。くすだまの様に丸々と咲いた花の束が、風に衝かれて一斉に梢を撥ね廻る様子は圧巻でした。
風と花との戯れに立ち会って、しばし花の下で息を飲んだままの人々を見かけました。
前髪を風にさらわれ、おでこをあらわに立ち尽くす通行人の様子は、なぜかその人を素直に美しく写しだします。それが老人でも、仕事途中のビジネスマンでも、生足の女子高校生でも、妙に小さく可愛く見えるから不思議です。彼らがはるか昔に初めてシャボン玉を見上げた時のような天真爛漫なその姿は、桜の梢にを鏡にして私に見えているような気がします。
丸さ、白さ、淡さ、はかなさ、揺らぎ、微細なものがあまた群れあう様子、動く梢と動かない幹、薄紅色と黒灰色のコントラスト、花芯の紅さや黄色さ、渦巻く花吹雪のパレード・・・桜の描写は何百年に渡って日本中の文化人が尽くしても尽くしがたい奥深いものなのですね。
さて私の今年の桜日記です。
金曜日に休みを頂いて青山へ用を済ませにでかけたので、少し歩いて青山墓地へ父の墓参がてら花見に参りました。霊園内の七部咲き花のトンネルを通り、東十四通りを左折すると父の墓なのですが、この東十四通りが花見のメッカであり、毎年外国人グループがBQQの準備も万端に道一杯に陣取っているのです。そのインターナショナルな喧騒を過ぎて乃木坂へ下り始める辺りの左手に松浦家先祖代々の墓があります。頭上(墓上?)にはぽかんと空が広がり、墓石が六本木ヒルズを背負って立っています。いたずらカラスが柄杓を咥えて行かないように、バケツに括り付けられているの外し、墓石にざばざば水をかけ、テンポ良く二拍二礼したら、後手にバイバイしながら亡父を後にします。
翌日は近所の桜を探検です。マンションの裏門を出ると正面が私立の学校です。そこはかつて戸越農園のあった場所で、農園内の官舎で育った母の兄弟達にとっては郷愁を誘う遊び場だった土地なのです。叔父が木から落ちて釘を踏んだ話、肥溜めに落ちた話、ガラスの集積所の美しかった話・・・私自身も見たことがあるかのように、子供の頃から記憶の襞に埋め込まれた昔語りの逸話の舞台です。わずかに残された遊歩道を通って、ソフィア協会の前に借りた駐車場まで歩くと、大きな畑の向かいに見事な桜の古木があります。150年くらいは経っていそうな見事な木ですが、真下に世田谷区の広報掲示板を抱いているのがちょっとダサくもあり、返って昔ながらで微笑ましいのでした。(世田谷区さん、おしゃれじゃないですけど良いですか?)
更に晴れ渡った日曜日は、「やはりここへいかないと!」の砧緑地へ散歩しました。用賀駅から続くプロムナードの水辺を通り、百人一首の敷石を踏みつつ進みます。気分がハイだとあっという間にファミリーパーク(砧緑地)に到着です。
広大な緑地はN.Yのセントラルパークを思わせます。茂った樹木の向こうから、大きな焼却場の煙突がぬうっと突き出ています。白とブルーで迷彩に塗られた煙突は、私の郷愁を誘う景色です。幼稚園の遠足、小学校の工場見学、中学校の陸上競技の都大会・・・とこの地には幾度足を運んだことか。こうして改めて花見に来るのは稀で、これほど桜があるとは正直言って意外でした。緑地ならではの特徴的な枝ぶりは、古木の桜がほとんど皆、その枝を地表まで下していることです。目線に花があるどころか、見下ろす花見もあったのかと新鮮な感動がありました。連なるピンクが山脈のように向こうまで続き、「ここは何処?」の世界です。手前は砂埃が立つので、ずっと奥まで進んで、野鳥のサンクチュアリ直前の緑地がお勧めです。
いつか是非、この夢のように雅な世界で、非毛氈を敷いて野点し、音曲の会を催したいと思います。平成の源氏物語ごっこと言うわけです。お仲間たち!是非、参加してくださいね。
by soukou-suzuki | 2005-04-12 01:21 | Hikari NOW!

通勤投稿『長閑』

長い閑。長閑と書いて『のどか』と読む。春の代表的な季語の一つです。
長閑さと普段あまり縁の無い生活を送る私も、句会の謙題として毎年この時期にこのことばに巡り合います。 私の長閑はフリージアとともにあります。毎年四月の声をきく頃になると、桜よりほんの一足早く花を咲かせるフリージア。力強く芳香を放ちながら、鮮明な黄色と濃い緑のコントラストに陽光が当たる様は、視たものに春を直感させます。豆科だと言う事が意外なまでの生命力は、原産国が南アフリカと言われると納得に変わります。
結婚して浦安のマンションに住み始めた頃、賢一は自室のバルコニー前にあたるマンションの敷地に、こっそりフリージアの球根を埋めました。それは子供時代に小学校で貰った一個の球根が、お婆ちゃんの家の庭で世代を重ね、数百個に増えたものの幾つかなのです。
それから毎年、春になるとたくましく花を咲かせ、今はちょっとした花畑になっています。毎年この時期になると道行く人達の足どりを緩めて、一言二言の会話を産んでいることが窓越しに分かります。根がせっかちな私は、こういう他人様の長閑を通じて、ようやく長閑さを味わうことができるのです。
新居の購入が決まったのは昨年三月、フリージアの咲く直前でした。来春の引っ越しが決まるや、その日から浦安に関わる総てが見納めに思え、鮮明に記憶の襞に染み込んできました。十年間、気にも留めなかった木々や草花、花壇や商店まで、その良さを汲み取ろうとしていた気がします。咲いてみて初めてそれが桜の木であったことに気づく木のなんと多かった年か・・・。
その年の、特に愛しく感じたフリージアの花が終わり、球根に来年を託して地表部分は枯れ干乾びた頃、賢一は再びスコップを取り出して来ました。一部の球根を掘り起こし、綺麗に泥を払ってから、スーパーで買ったにんにくのネットに詰めて、玄関先の日陰に吊るしました。どうやら新居のテラスに連れて行く気です。大きな背中を通じて、球根に期待する小学生の心が透けて見えていました。その後、引越しを睨んで小さなプランター3つに分けて植え、緑の葉が伸びるのと、新居のマンション落成とを見比べる今年の寒明けでした。
さて、昨日ついに南アフリカ・・・、愛知県、浦安市、世田谷区と長い時間と距離を旅してきた我が家のフリージアが、瞳に痛いくらいの黄色で太陽と張り合うように花開きました。
開眼したフリージアたちは、あたりの様子が違うことに気づいているのでしょうか。あるいは虎視眈々と、この地に仲間を根付かせ、自分はさらなる旅を続ける算段をしているのでしょうか。その「強かさ」と「華麗」さには、生命の煌めきを感じずにはいられません。同時に、フリージアを使って自分の足跡を方々に残している、賢一の「意図しない意志」にも、少なからず圧倒されているのでしょうか。
春にあふれ出る生命力を、傍らで淡々と眺める時間こそ、「長閑」なのかも知れません。自分も咲かなくちゃいけないですかね。いえいえ、私は寒中でも咲くときは咲きますからご心配なく。

引越や見納めとなるこの桜

フリージア連れて引越し海渡る   (東京湾を渡って来ましたから^^)
by soukou-suzuki | 2005-04-07 01:34 | Hikari NOW!

通勤投稿『初稽古』

用賀に越して最初の水曜日の朝です。お茶の稽古道具をカバンに入れるかひとしきり悩み、結局いつもの身軽な通勤バッグ一つで家を出た。
浦安に居る頃は、上野毛の稽古帰りが楽になることばかり考えていたけれど、いざ近くなってみたら初めて気が付いた。『そうか、一度帰宅して車で出なおせば良いのか!』そう気が付いたら俄然、水曜の朝が軽やかになった。
そのときの目から鱗の感覚は、旅に関するある思いに似ていた。
旅慣れない頃は、毎朝ホテルを出る時に、その日使いそうなすべての荷物をカバンに詰め込んで、その重さ大きさに辟易していたものだった。最今は漸く、自分の行動パターンに合った区域にアクセスの良い宿を取り、そこを拠点に一日に何度も自室に出入りして、身軽で最適な格好で万事楽しめるようになってきた。夜寝るだけだったホテルが生活の中心になり、そうこうするうちに、利便性だけでなく、施設の充実やホスピタリティーが本気で有り難いと思えるようになった。服装だけでなく気持ちの切り替えにもなり、リフレッシュも挟む事で自分がちゃんとご機嫌で居られる。楽しもうとする時、企画より相手より、なにより自分のご機嫌が大気だと付くのに30年もかかったのだ! 自分は老人より赤ん坊より手がかかる。
by soukou-suzuki | 2005-04-06 09:01 | Hikari NOW!

スタートとショックの4月

 4月2日、11年間住んだ浦安を出て用賀へと越しました。
お互いに早朝から深夜まで出かけているので、滅多に会わないご近所さんにもろくにご挨拶できないまま。極めつめは、「お隣くらいは挨拶したいよね」と言っていた引越し前々日に、当のお隣さんが先に引越ししてしまったこと!走り書きのメモには「バタバタして挨拶もできなくてごめんなさい!」と有ったけど、「いえいえ、こちらこそ(^^」です。ライフスタイルも自然と似たもの同士が集まる集合住宅。私は気楽で好きです。また同じフロアには、賢一と同じ銀行に勤めるOさんも居ました。最初は違う銀行だったのですが、お付き合いしている課程で合併し、気が着けばご近所さんが上司に・・・。残業して帰ると、赤い顔したご主人とポストで一緒になりました。昼頃ご挨拶に行ったら、寝起きのお二人に会えました。(やっぱりライフスタイルが似ている)
 テレビと電子レンジを取りに来た弟の車で、トラックよりも一足先に用賀へ。東京ガスを待ち受けて一休みしたところで、日通さんが到着。真っ白で広々していたはずのリビングがたちどころにダンボールのピラミッドだらけに・・・。荷造りスタッフは頼みましたが、荷解きスタッフはお願いしなかったので、これから自分たちでぽちぽち片付けます。
 一段落したところで、不動産屋に寄っていた賢一到着。一番ご近所になる親戚の家へGODIVAを持参し、その足で上野毛にきました。母と弟一家と一緒に手作りの食事を食べて、4月4日がお誕生日の直美ちゃんをパティシエ・高木のケーキでお祝いしました。
 直ママは頑張っていて、最近ついにお仕事を再開。忙しい旅行会社しかしらない彼女は、新しい職場で、ボスが電話で話しているところへ別の電話が入ったときに、「折り返すから」という指示を受けてビックリ仰天したのだとか?!「え!1本しか電話してないのに折り返すの?」とカルチャーショックを受けたらしい。というのも某旅行会社では、左右の耳に受話器を当てて、3本目から初めて折り返し電話の対象なのだそうな。(こっちがカルチャーショックだよ)
 私もいろんな仕事を経験したけど、企業が(あるいは部署が)変ればすなわち文化は違うもの。さらに業界が違えば言語も左右さえ変わる。株式会社や特殊法人や財団・・・と組織が変わればまた変わる。皆それぞれで、最初なじめないのは、何も家庭の味ばかりじゃないな~と思うこの頃。女の人は、文化の違う家庭に入って大変だって言うけど、男の子だって転勤・転属の度に逃れようの無いカルチャーショックを受けながら大人になっていくんだよね。
 引越しも入学も異動もスタートも、総てが一気にやってくる4月。家族も他人も道行く人も、接触する総ての人たちがこの時期、きっとそれぞれカルチャーショックを受けながら頑張っているんだな、と思えば自分のショックも「旅」感覚で楽しめそう??
by soukou-suzuki | 2005-04-02 20:49 | Hikari NOW!