引継の茶事

c0049825_5472412.jpg2月17日(土)、晴れ後、夕方から雨。
お社中(お稽古場が一緒の)お仲間が茶名をとり、引継ぎの茶事がありました。茶事の間はしっかり天気がもったのはサスガ松浦社中。
日取りが決まった当初は、私は後見のお役のつもりで、自分の時を思い出しながら味わい深く過ごそうと、ずっと楽しみにしていました。が、大変!先生の膝の調子を理由に、少し前から私が代わって点前をさせていただくことになり・・・。(うう、自分がしていただいた時には、しみじみとよかっただけに、自分のお点前でこの日を台無しになったらどうしよう~)久しぶりに落ち着かない、おトイレの近くなる日々。(T_T)

c0049825_557436.jpgしかしせっかくのありがたいお話・・・、苦手意識は捨て、先生もお稽古つけてくださったのだし、もうあとは無心で、清らかなお茶をひたすら・・・と、点前座に座った途端、突如、『ぐぁががががががぁ~っ!』と、外で猛烈な工事の音が!見事に平常心は掻き乱れ、頭の中、真っ白になってしまいました!(><;
出だし動揺しましたが、少しづつ真の闇にも目が慣れ、羽しらべする(羽箒を指でしごく)度に、自分の背中もなでてもらったような気になり、服紗を捌く度に襟元を調えてもらっているような気がして、少しずつ落ち着きを取り戻しました。もっとも、「平常心なら完璧」という訳ではないので、デキは悪く、日頃の精進の足りなさを「ばばん!」とお披露目したことは否めません。結果的に自分の修練にしてしまって大変申し訳ない気持ちです!
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この席で初めて自分たちの「茶名」を見る3人。どきどきの瞬間。後見の口上とそれぞれの挨拶。お一人は、この茶名を携えて、3月に奈良へお嫁に行ってしまいます。「自分に茶名は早いと思っていましたが、茶人として帰ってくる場所が欲しくて、先生からお茶名をいただこうと心を決めました」披露宴よりぼろぼろに泣けました。後の2人は10代だった頃を知っているので、暗い小間の中で、時空がよじれて、十数年間が走馬灯となり、目の前の空間も涙でねじれました。時が満ちて、この3人の中に、細かいたくさんのものが積もったんだ。今それをみんなで確かめ合っている・・・その空間に一緒に居られることの価値は、ちょっとまだ旨く言葉になりません。(><;「嬉しい」という字ではちょっと違う気がする「うれしさ」なのでした。
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後座では雰囲気を変え和気藹々と楽しみ、私も相伴させていただき、時間があっという間に過ぎていました。(やっとスナップショット可能に)
ちょうどこの3人が入門してから今日までの時間と同じように・・・いや、自分が入門してから今日にいたるまでのように、かしら。(^^)宗由さん、宗範さん、宗秋さん、おめでとうござます。末永く同門としてお付き合いのほど、宜しくお願いします。
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<茶事への追想>
c0049825_665490.jpgもう15年前のことですが、私が初めて茶事の亭主役をした日の夜、父が突然亡くなりました。心不全で、それはたった7分のできごとでした。おめでたいお席のことを書く日になんですが、茶事の度に、私はどうしてもそのことを思い出してしまいます。(初めて告白)
というのも、「今日という日は他にない、今は今しか味わえない・・・」そのことを最大限に演出する茶事の日に、そう体感した初めての日に、本当のさようならが待っていたなんて・・・どういう巡り会わせだっただろうと考えてしまうのです。父の出来事までが、まるで茶事の一部だったかのように、一続きの流れの中で起きたので、それからの数ヶ月は、毎日、「もう少し早くに気づいていく人生になりたい」と心から思って過ごしました。私も、あの頃よりは、毎日をいとおしんで生きていますし、後悔を残さない生き方になったと思います。でも、依然、気づきの遅い人間です。もっと油断無く、気づかなくてはならないのに・・・いろんなことに。
c0049825_67175.jpgだからでしょうか?茶事の日には、ことさらに「自分が花開く」ことよりも、「花を見て感じ入る」ことを大事に思えます。「感動する」ことよりも、「人の心の動きに、自分も感じ入る」ことを主眼にしようと思えます。そう思うと、日々は、私の周囲は、見るべきもの、感じるべきもので、既に充分に満たされていることに気づきます。自分のめぐり合わせがよいことだけが幸せじゃないんだ、人の幸せを、自分のものとして感じても良いのだ。そう思うと、いろんな焦りから開放されます。父は、あの日、茶事の席にいませんでしたが、母と私からにじみ出る茶事の余韻を、しみじみ味わっていたように思えてならないのです。
by soukou-suzuki | 2007-02-24 05:51 | Hikari NOW!
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