「富士日記」 武田百合子

武田百合子の「富士日記」にはまってます。(拝借本)
薦めてくれたのは同僚の友人。上・中・下巻とた~っぷりあります。でもそのたっぷりさが嬉しい!ジャスト・ミートのご紹介感謝。(かなり私のコトをよんでいるな!)
日記なのに、しばしば抱腹絶倒で、いきなり涙してしまう場面も…。今、上巻を読み終えたところ。
著者の武田百合子は、作家武田泰淳の妻。(といっても泰淳は未読) 百合子は、夫の口述筆記をする傍ら、富士の山荘での生活日記に10年余り綴り、夫の死後に出版。これが「田村俊子賞」となり、その後も執筆を続け、平成5年に死去。嗚呼、なんと残念、会いたかったのに~!
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本を開けば私は瞬時に富士山麓にトリップする。私は百合子になって、ビールを飲んでアクセルを吹かす。富士の自然が左右に流れ出す。西湖の澄んだ蒼さ、富士の白さ、樹海の暗さ、錦秋の豪華さ。瞼に染み込んでくる感じで目をしばたたかせる。
別荘ライフは、自炊と家の修繕、車の故障と修理の繰り返しだ。楽しいことばかりじゃない。むしろ自宅よりも数段、不便で前時代的な暮らしを強いられる。食料や燃料運び、坂の登りおり、埒のあかない職人仕事、どの人もきちんと纏った生活臭…。それでも、赤坂の自宅を飛び出したら、眠さの中を車を飛ばし、寸暇を惜しんで一目散にここへ来るのはなぜだろう。山荘を愛して止まないのはなぜだろう。
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言葉で上手く言えないけれど、別荘生活は「疑似体験」で「生活ごっこ」のはずなのに、逆に全てがリアルに感じる。食事、目覚め、夕涼み、寒さ、まずさ、生命・・・すべてが本物に感じる。都会の生活とは”画素数”が違う。音質・音域が違う。カンバスの大きさが違う。手触りが違う。目と心臓とが、新しい神経(パイプライン)が一本通ったように直結する。見たものにいきなり胸を打たれる。考える暇なし。脳みその出番は少ない。同じように、耳から入る情報にも心が過敏に反応する。共鳴度が違う。リフレインが叫んでる。(あ、ユーミンになっちゃった)
空気が澄んでいるから?人工的なものの割合が低くなるから?「リアル~」とか「こっちが本物だわ」と感じる瞬間がとにかく多い。百合子もそう感じているように読めた。
最近は、本を開いていなくても、私の傍らに夫・泰淳が居るような気配さえ感じる。(^^; 私は百合子に感情移入するあまり、知らないはずの泰淳に恋までしている始末!あな、おそろし。強烈な個性には強力な強烈な”引力”がある。

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百合子は直ぐに「バカヤロー!」と罵倒する。悔し泣きする。挑戦する。挑発する。知りたがる。人の世話をする。そして生命に共感して臆せずに泣く…。その強い強い好奇心ゆえに引き寄せてしまう「危険」や、愛情ゆえの「激昂」のたびに、泰淳が百合子を諌(いさ)める。その様子を百合子は日記にも綴っている。泰淳に諌められて素直に癒される場合と、逆に癪に障って烈火のごとく猛反発する時とがある。自分でも押えられないほどの怒り。・・・自戒の念を込めているのか、百合子はそれを敢えて日記に書き残している。そこに続く数行の描写からは、泰淳の当惑と、諦め、また百合子への強い愛着と尊敬さえも感じとることができる。泰淳、なかなかいい男なんでしょう。次には泰淳を読もうかな・・・、とそんな気にさせてくれる訳。いやしまった、なるほど!泰淳の著書の印税は百合子に入るのだな。ああそんな甘い罠にも、じわじわっと泥酔していく心地よさ哉。。(あんもう、つい長くなっちゃった!ここまでが前書きなのよ~)
以下は、上巻の中で私が惹き付けられた段落を抜粋したものです。お試し版「富士日記」。

★岸づたいにはこられない、人のいない溶岩の入り江に舟を着け、水着をもってこないので、主人真裸になって湖水に入り泳ぐ。水は澄んでいて深く、底の方はすみれ色をしている。ブルーブラックのインキを落としたようだ。そのせいか、主人の体は青白く、手足がひらひらして力なく見える。私は急に不安になる。私も真裸になって湖に入って泳ぐ。

★(朝日の梅崎氏の訃報に)
私が涙を垂れ流しているものだから、局の人は「奥さん」と言ったきり、びっくりして顔を見ている。「人が死んだものだから」と言って手を出すと、黙って頼信紙をくれた。
 帰ってきてずっと、ごはんのときも、誰も口をきかない。主人も私も花子も、別々のことろで泣く。主人は自分の部屋で。私は台所で。花子は庭で。

★夜 ごはん まな鰹粕漬、いんげんバター炒め、味噌汁、高野豆腐煮たの(高野豆腐の煮たのは私だけ。主人はキライ。無意味だという。キライだと、そういうのだ)。

★ヤマバト(キジバト)が、木の間で卵をかかえていた。すぐそばにいって人がじっと見上げていても、人を見ないようにして、身じろぎもしない。可哀そうに思えた。気になって遠くからも何度もみる。可哀そうでならない。じいっと観念したような眼つきをしている。

★ふと気がつくと主人がいない。ひとことも言わずに、トンネルの中へ、すたすたと戻って行くのだ。しかもトンネルのはしっこでなく、まんまんなかを歩いて入って行くところだ。「あんなものいらない。なくても走れるよ。歩いて入っちゃ危ない」。私が呼び返しても、大トラックが轟音をたてて連続して出入りしているので聞こえない。ふり向かないで、真暗いトンネルの中に、吸いこまれるように、夢遊病者のように、大トラックに挟まれて入って行ってしまう。何であんなに無防備なふわふわした歩き方で、平気で入って行ってしまうのだろう。死んでしまう。昨夜遅くまで客があり、私が疲れていて今朝眠がったからだ。ぐったりしている私の、頭を撫でたり体をさすったりして、しきりになだめすかしてくれたのに、私が不機嫌を直さなかったからだ。車の中で話しかけてきても私は意地の悪い返事ばかり返した。私は足がふるえてきて、のどや食堂のあたりが熱くふくらんでくる。予想したことが起る。トンネルの中で、キィーッと急ブレーキでトラックが停る音がし、入って行く上りの車の列は停って、中でつかえている様子。バカヤローといっているらしい運転手の罵声が二度ほどワーンと聞こえてくる。私はしゃがんでしまう。そのうちに、主人は、またトンネルのまんまんなかを、のこのこと戻ってきた。両手と両足、ズボンの裾は、泥水で真黒になって私の前までくると「みつからないな」と言った。黄色いシャツを着ていたから、轢かれなかった。ズボンと靴を拭いているうちに、私はズボンにつかまって泣いた。泣いたら、朝ごはんを吐いてしまったので、また、そのげろも拭いた。

★本栖から白糸の滝あたりまでの麓の村は、パノラマのようによく見えた。真っ白なアルプスも見えた。コロナが一台とまっていて、男の子が二人、石を下の道に投げている。両親らしき大人は車の中にいる。危ないので注意する。男の子二人は、少し間をおいて、帰りがけの私に「クソババア」という。「クソは誰でもすらあ」と、振り向いて私言う。主人に叱られる。

★隣の林の中に透けて見えた赤い実の枝をとってきてサントリーのびんにさした。赤いうるしを塗ったようなつやつやした実。図鑑でひくと、スイカヅラ科の”がまずみ”または”こばがまずみ”。食べられるとかいてる。食べようとすると主人、私の手をつかんで、「やめろ。七転八倒だぞ。野菜を食べていればいいんだ」と言う。「ふらふらと散歩に出かけて、やたらと道ばたのものを口に入れるんじゃないぞ。前に死にそうになったのに懲りないのか」と圧しつけるようなふるえる声で怒る。


ページを捲るごとに、百合子という人間の強さと弱さ、正直さ、潔く青い粗野な言動が溢れ出す。本から溢れて飛び掛ってくる。飛び出す文庫本だ。目ン玉や喉元を衝いて来る感じ。私の中で、眠りかけていた「野生」が呼び覚まされる。”寝た子を起こす”本なワケで、賢ちゃんに取上げられないように注意が必要・・・(^^; さ、いい子は寝なくちゃ。
by soukou-suzuki | 2006-08-15 02:01 | 私のお気に入り
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